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物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

死までのほんのひととき


 夜寝る時、これでまた死に一歩近づくんだなと思う。

 僕は1LDKに一人暮らし。恋人もいなければ友達もいない。会社で必要な業務だけこなして、後はアパートに帰ってくる。ただ、それだけの人生。

 趣味はゲームとか読書とか。ありきたりなものを少し。それだけで、人生の退屈な時間というのは十分埋まっていく。僕は時間を埋めるのが得意だ。そうしている間にも少しずつ、「死」は近づいていくる。

 三十を越えた年から、年齢の事を考えなくなった。死の事ばかり考えるようになった。

 死は少しずつ近づいていくる。毎日、明かりを消す度に死は向こうからこっちに擦り寄ってくる。衣擦れの音が聞こえるようだ。

 死はどんな相貌をしているだろうか。無教養の天才バカ野朗、モーツァルトは毎日、死と共に生きていた。彼は毎日、死を思いながら寝ていた。彼の音楽の背後には、死がぽっかりと口を開けて待っている。人は誰でも、死という暗穴に落ちるまでの間、ただ踊り狂って暮らす。できる限り派手に踊れた奴がこの世の王者という事で、賞賛されたり、死を克服したかのような見かけを持たれたりするが、実際はそんな事はない。彼らは大抵、死から目を背けているだけだ。ただ、それだけだ。

 僕は自分の人生が何でもない事を考える。あるいは、この世の中自体が、馬鹿げたパーティーのように、ほんの賑やかなざわめきとして消えるべきものなのだ。パーティーの後に、後片付けをしない子供のように、人類は地球を汚したまま消え去っていくだろう。こいつらは。ほんとに。

 パチリと電気を消す。目を瞑る。何も変わっていない。

 この一千年、二千年。人類は進歩しなかった。…いや、進歩したと人は言うだろう。労働環境は改善され平均寿命は伸び、さまざまなテクノロジーが発展し、世界経済は常に大きく動いている。世界中であらゆる人はそれぞれに、それぞれの努力をしている。日本が悪いのはどっか別の国のせいなのかもしれない。あるいは世界がおかしいのは一部の秘密結社のせいかもしれない。でも、それら全部が間違っていようが正しかろうが、僕には全て淡い夢のようなものに思えてならない。

 少なくとも、僕の人生が何でもない事は確定している。僕は生きている自分を不思議に思う。物置の端っこに置かれて、何を照らすでもなく、ただ消滅するまでの間燃え続けているろうそく。それが僕だ。僕は少しずつ燃え尽きていっている。孤独に、一人で死に向かって少しずつ近づいている。

 でも、人に助けを求めようとは思わない。溺れている人間が別の溺れている人間の肩を掴んでもしかたないじゃないか。大体、他人というのは面倒だし。僕は一人でいる事に馴れている。

 だから、僕は一人で少しずつ死に近づいている自分を不満に思わない。社会でただのロボットとして生きている自分をなんとも思わない。そんなものだと思っている。

 そういう僕もまた世界の片隅で生きていて、その事はどんなデータベースにも保存されない。戸籍には残るだろう。だが、戸籍なんて何の意味もないデータだ。僕の内面や心理についてはわからないまま。僕の本質はただ一時の事として消える。ろうそくのように、ただ消えていく。

 ああ、世界が消えていく。僕は不思議に思う。どうして世の中の人達は自分の死について思わないのだろう。どうしてあんなはしゃいでいられるのか?

 今日も仕事を終え、アパートに帰ってくる。風呂に入り、飯を食べ、インターネットを見て、布団に潜り込む。

 電気を消すと、死がこっちに近づいてくる音が聞こえる。死は僕の友人となりつつある。

 少しずつ死にゆく個体。ハイデッガーやサルトルなんかに言われなくても、死は、僕の身近にいる。僕はそいつの顔を覗き込む。そこには僕自身の顔が映っている。僕自身が、僕の死神なのだ。

 さて、寝よう。目を瞑る。そのまま、眠ってしまう。夢も見ない。寝ている間は、死の事も死神の事も忘れている。それなのに、死の存在を僕は感じている。透明な皮膚の奥に死がいるのを、感じる事ができる。

 ぐっすり眠る。意識がない。死んだように眠る。

 そして、朝が来る。朝が来ると、面倒くさそうに目覚まし時計を止めて、僕は起きる。

 そして。

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