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物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

小鳥のように

何故、涙が出てくるのだろう

僕は今、何の理由も感情もない涙を

ひたすら流す

人生が寂しかったり寂しくなかったり

人から嫌われたり、好かれたり

夢を持ったり、誰かに幻滅したり

もうそんな事は全てとうに終わってしまった

僕には生きる喜びもなければ、死ぬ為の絶望も存在していない

なのに今この時、僕の両目から涙が溢れてくるのは何故だろうか?

この十月の庭に朝日が照っているのは

一体、何故だろうか?

・・・そして、僕は洗面台に顔を洗いに行く

そして、その前面の鏡に映った人間とは

一体、誰だろうか?

人々が失くした代償を探している時に

自分自身をどこかへと落としてしまった一人の人間とは一体、何だろうか?

・・・今、僕はふいに外へ出る

扉を押し開いて、外へと出る

外には軽い雨が降っているが、その上から陽光も照っている

午後になれば、完全に晴れになるだろう

そう思いながら、僕は近くのコンビニへと行く

そこの店員がいつものように機械染みていたとしても

やはり、僕はどこかへ行く

もう鳥籠の中を点検し尽くした

一匹の小鳥のように

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「カラマーゾフの兄弟」 ーーー現代を覆う傑作ーーー





 今更、この傑作について述べる言葉ももう無いのだろうが、あえて言うなら、次のような言葉になる。「この作品がなければ、僕達が今行きている、生活、暮らし、そんなものには何の意味もないであろう」、と。・・・ゲーテが次のような言葉を残している。『太陽が照れば、塵も輝く。』カラマーゾフは太陽である。そして我々は塵である。
 こんな事を言うと、ふざけていると思われるかもしれない。あるいは、次のような穏当な反論が帰ってくるかもしれない。つまり、「カラマーゾフは確かに傑作かもしれないが、我々の生活には我々独自の価値があり、この二つはほとんど接点はない。」・・・だが、本当にそうだろうか。僕が訝る点はそこにある。・・・簡単に説明すると、現代社会はどこも唯物主義である。そして、神がいない。また、どこも資本主義であり、そしてまた同時に民主主義である。それ自体は悪い事ではなく、むしろ良い事であろう。だがしかし、こうした世界では、我々の生活と暮らしは賞揚される。金を持つ事で幸せになる・・・そのチャンスがある、そんな希望が満ち溢れる。あるいは今は、家族に対する幻想、友人、恋人に対する幻想・・・それらが我々の生活スタイルにともなって、どんどんと拡大していく。そして、その中で、失望や絶望も無数に生まれている。
 我々の人生とはなんだろうか・・・。我々は必要以上に『生活』を高めすぎている、と僕は思っている。そしてその結果はどこに至るか・・・。パンとサーカス。・・・神なき世界では、人が神の代わりである。だが、神なき世界において我々が拾い上げるのは、肉欲であり、食欲であり、つまり全て卑俗なものである。神は死んだ。確かに。・・・だが、その時、おそらく、人間も死んだのだった。人権はある。生活はある。しかし、生活の目的は・・・つまり、我々が見上げ、到達しなければならぬ何かは存在しない。そして仮にあるとしても、それは我々の下の方の、全ての卑俗なものへとまみれていく事に他ならない。
 ドストエフスキーは早くから、社会主義に関心を持ち、それに真っ向から批判した人間だった。・・・僕が思うのは、社会主義やナチズムというのは、人間が作り上げた恐るべき地獄の両極であり、この二つはまだ人にははっきりと理解されていない、という事だ。(ドラッカーやオーウェルのような真っ当な人はいずれもこれに反対した。)そして、理解されていないという事は、それを繰り返すという事に他ならない。歴史は繰り返す。人が安定を求め、全てを官主導のものへと、絶対安全、絶対確実なる真理を基盤に、我々を統御しようとすると、その世界全体は歪み、壊れだす。これは既に、体験した事ではないのか。
 ドストエフスキーがカラマーゾフで展開した様々な観念を取り上げる事はここではできない。それには僕が余りに知識不足であるし、今の僕の手に負えるものではないからだ。・・・だが、僕がこの作品で一番驚愕したのは、最終章での、検事と弁護人の対決である。・・・おそらく、どう考えても、こんな対決はありえないし、こんな弁論の闘いは起こらないだろう。ドストエフスキーは作家の良心として、一応、検事がどうしてあのような考えをあの場で述べたかについて、その理屈付けを行っているが(これは読者のためだろう)、そんなものは不要だと感じる。・・・ドストエフスキーという作家は、根本において、シェイクスピアに非常に良く似た作家である。彼ら二人とも、小さな部分の中に、巨大な全体を落としこむという彼ら独自の方法論を持っていた。これは個別的なものに、形而上的なものを複雑に詰め込む、といったやり方であり、彼らが一流の思想家でありまた作家でもあったからできた事で、もちろん、真似しようとしてできるものではない。
 ドストエフスキーが「罪と罰」から「カラマーゾフの兄弟」に至るまでに歩んだ道のりは壮大なものだった。・・・僕は思うのだが、正しく、カラマーゾフは現代の聖書と言っても良いと思う。だが、人はこれを「傑作」としか見ないであろう・・・。ドストエフスキー自身、「悪霊」の中でそう叫んでいる言葉があるのだが、それは、「シェイクスピアとラファエロは全社会主義より上」というようなセリフの事だ。僕が思うのは・・・カラマーゾフがいかに傑作であろうと、またラファエロやシェイクスピアやモーツァルトがいかに優れていようと、人はそれをただ、趣味的にしか解しないという事である。そして、趣味的に理解する所に趣味的に教授してくれる「芸術理解者」のような連中がいてーーーーーまあ、彼らに関してはどうでもいい。彼らは物事をそのように見る事しかできないという事である。彼らは皆、人生に彩りを加える存在として、様々なもの(芸術含む)を活用するが、だが結局、彼らの周囲のものは全て、彩りに過ぎない。そして、彩りを加えられた当の我々の人生は、知っての通り灰色のぼんやりしたかすんだ、淡々たるものである。僕が感じるのはーーー芸術とはいかにしてできたか、という事である。これはこれまでも繰り返し主張されてきたし、これから先も繰り返し主張する必要があるだろうがーーー芸術は、人生に彩りを加える為にあるのではない。そうではなく、芸術は人生を越える為にあるのだ、という事だ。・・・人は下層から上層を見て、そして自分達の方が勝っていると考える。しかし、それはーーー言わせてもらえばーーーまるで、蟻が自分達の方がより幸福だと信じて、巨大な人間にあざ笑う行為に等しい。
 ここまで言うと、はじめの言葉の意味もおそらく、最初よりはすんなりとするに違いない。「カラマーゾフがなければ、我々の生活は・・・」。だが、僕は人がずっと、その事に抗弁し続ける事もよく知っている。人は、結局は自己を肯定する他できない生き物だからである。人は、どんな精神異常者も犯罪者も、自分を否定する事などできない。だから、自分を否定する事は自死する事である。もちろん、意見というのは様々にあり、作品の『解釈』とやらも様々にあるのかもしれないが、ここでの問題はそんな事でない。解釈しているのは我々ではない。解釈しているのはドストエフスキーであり、我々は、ただ裁判場に集まる傍観者達の一員にすぎないのではないか、という事だ。我々がいかに解釈するかではないか、ではなく、既に、我々の存在とその思考自体が、ドストエフスキーに先取りされていたのだ。これは、厄介な問題である。そして、僕自身にとってもかなり嫌な問題である。・・・もし、文学に神がいるとするなら、この神は、シェイクスピアの諸作品が世に現れ終わった時に、次のように言ったに違いない。「これらの作品は全て神の息吹を受けた完璧なものだ。これ以降、人が文学作品を造る事は一切禁じる。」・・・もちろん、ドストエフスキーはシェイクスピアの完璧さを誰よりも知っている人間であった。それは丁度、ベートーヴェンの後に曲を書かねばならなかったブラームスの苦悩に似ているかもしれない。だが、しかし人は生きねばならず、言葉はまだ紡がれなければならない。なんと、辛い事であろうか・・・。全てはとうの昔に終わっているのに。
 だから、まだ全ては終わっていない。世界は終わったとしても、アリョーシャの言葉により世界に幕が引かれても、まだ何ものかは続いてくのだ・・・。これほどまでに辛い事があるだろうか?・・・。僕は・・・。だがしかし、ドストエフスキーを趣味的に理解したり、あるいは、全然理解せずにあざ笑う人々は、既に解釈された存在である事を逃れる事は決してできないだろう、と僕は思う。そして、過去を理解する事だけが唯一の未来への道だという原理に従って我々はーーーーーこの既に終わった世界の先へと進まなければならないのだろう。

空袋と重荷





言いたい事があれば

言うがいい 心のままに

だが、世間はそれを許さぬであろう

人々は自分達が担ぎあげている重荷を

君が一緒にかついでいない事が不満なのだ

だが、君はその重荷の中身が

空な事を指摘してやれば良い

人々は顔を真っ赤にして君を殺そうとするが

事実、彼らの持ち上げている重荷は全て

重たそうに見せた空袋に過ぎぬ

そして、君が将来背負うべきものは

外からはいかにも軽そうに見えるが極端に重い本物の重荷

その時、君こそはいかにも軽そうな軽薄な様子を保って

そして、満身の力を込めて、自身の重荷を担がねばならない

人々が空袋の重量を自慢しあっているその時にも


詩を書く事




もう何も書く事はない

もう何も伝える事はない

ただ、僕は一つの沈黙としてそこに存在しているだけ

そう考えて、僕はキーボードに触れなくなった

・・・にも関わらず、僕の中の言葉は一つの表現を求めて

僕の中から外に出ようとする

すると、僕はその圧力に耐えかねて

再びまたこうして、キーボードに手を添える・・・

ああ、もし詩が金儲けの為の道具ならどんなに楽だったろう?

もし、人が自分自身の宿命から逃れて

金と物と肉欲のこの世界に溶け込む事ができれば、どんなに楽だろう?

あらゆる複雑な哲学、物、思想を退けて、実に平板なこの世界の掟そのものと化して

そうして、毎日明朗な自己として目覚める事ができたら、どんなに楽だろうか?

ああ、僕は僕を失いたい・・・僕にとって僕は最大の重荷だ!・・・

なのに、今、こうして僕がまた何かを書いているという事は

他人にとって何でもなくとも、自分にとってやはり何かなのだという事だ

そして、自分にとって何かだという事はこの世界にとってもやはり何かなのだという事だ

世界がどんなにはしゃいでいても、それが宿命を忘れていれば

それは神の小指が紡ぎだした塵一つの価値もない・・・

だからこそ、僕は生きている事に意味を見出そうとするし

それによって懐疑論に至り、そしてカオスの海に溺死する・・・

ああ、朝日がもし暗ければ、夜の深さを永遠に味わわなくて済むのに!・・・

にも関わらずこうして僕はまた日曜の朝に

ノートパソコンを開いて、言葉を紡ぎだす

それに何の意味もない事を知っているのに

・・・だから、僕にはもう何も書く事はない

書く事がなくなった地点から書くという行為を除いては

他人を愛せる時

もし、僕以外の全ての人間が死んでしまったら

僕はその瞬間、とてもせいせいするだろう

そしてこの地球も一人の邪魔者を除いて

余計な連中が消えた事を神に感謝するかもしれない

・・・だが、僕はその後すぐに

本格的に後悔し始めるだろう

そして、その時になって 僕は始めて

他人を愛せるだろう

自分以外の人間が全て消えたその時になって

詩人である事に誇りを持とう




詩人である事に誇りを持とう

皆に詩人(笑)と馬鹿にされている事に

世の中に全然必要とされていない事に

理系の奴に笑われて、同窓会の時に

恥ずかしい思いをする そんな僕達に

そんな風に詩人であるという事に

僕達は絶大な誇りを持とう

親や教師や上司や友人から嫌われ気味で

彼女から「もっと稼げよ」と文句言われている僕ら

あるいは、そんな人間関係が全然存在しない僕ら

そんな僕ら・・・詩人は自分達が詩人である事に

とても素敵な誇りを持とうではないか

何故って、僕らは神の寵愛を受けているから

誰にも見える事のない、神の光を受けてキラキラと輝く

あの六月の朝を直視する事ができるのだから

ふたりぼっち



君に語りかけるように

僕は僕に語りかけよう

まるで、君が存在するかのように

僕は僕を存在させよう

音楽は一つの神聖なリュート・・・

音楽は一つの失われた天啓・・・

君が言葉を失うなら

僕もまた黙っていよう

君が何かを語るなら

僕もまた何かについて語ろう

日常生活とは違う事を

収支表と確定申告とは違う事実を

それでもこの世に存在する真実を・・・その幸福と不幸について

僕は君に語ろう

今、君が存在するこの時・・・

今、僕が不在のこの時

はるかな宇宙を越えて

君の思考の中で僕は語りかけよう

僕が存在しない事について 君が存在する事について

・・・人間の類を離れて・・・

ただ、ふたりぼっちで

ふたりだけで

獣が見る月は




人生を棒に振る刹那

誰もいない暗闇で一人、痰を吐く瞬間

・・・僕は様々な事を思い出すんだ

かつて、父が僕に行った説教や

母が僕に告げた「人間失格」について

あるいは、姉の僕への「お前は人間に適していない」という宣言

先生は僕に「クズにも満たない」と言った

・・・それでも、僕には今の僕のように

あの月明かりのような一条の光がずっと見えていた

それが何を意味するかは分からないにせよ

僕はそれをずっと追ってきたのだと思う・・・

そして、その結果がこの暗闇での痰吐きだ

そして、その横をネズミがチョロチョロと行き過ぎる

さよなら、人類・・・僕は人間の類を追われて

再び、獣の類に帰ろうとしている

そして、帰りきった時に見上げる月はおそらく

今宵のように光り輝いているだろう

人間であった時よりも遥かに強く

『恋』

あなたと共にいる時

私の掌に一滴の光がこぼれる

あなたが涙を流す時

私の掌には花が咲く

人生をすっ飛ばしていく時

人生を・・・石ころを蹴るように思いきり

蹴りあげる時、・・・そんな時、ふいに

あなたの素顔が見えたりするのです

例えば・・・バイト帰りにゲロを吐いているあなたのような

僕はあなたの事が好きです

でも、着飾っているあなたは嫌いです

だから、あなたのほとんどの部分が私の気に入らない

でも、あなたが涙を流す事すら忘れて

陶然と自分自身に夢中になっている時・・・そんな時に

私はあなたのそんな素顔に恋するのです

そう、私は恋をするのです

見えぬ神





どんな言葉も適さない

どんな観念も届かないそんな思想が

肉体の奥深くには秘められている

人の計算の彼方

分子と分子のはじきあいでは計算出来ない何か

・・・そんなものが自然を支配している

「知る者」達は知れば知るほど未知の世界を楽しみ

そして、気付けば、天国の草原にいるのだろう・・・

無知を誇る者、そして、自分の鋭敏な脳の切れ味を

他者を切って確かめたい者・・・そうした者達はみんな

切る事のできぬものに切られる運命にある

我々はどうしても尊ばなければならないだろう

自分達が届かない彼方にいつも

見えない神が鎮座している事を


『償い』




時間に意味があるのなら

僕の存在に意味はない

君が一つの音楽を聞くなら

君は一つの風景を思い出すだろう

・・・それはいつの日にか見た月の明るい夜の事だ

まるで、清少納言がそっと外に出た時のような・・・

君の事は全然知らないけれど

僕は君の魂の事を知っている

まるで「点検をすませた」かのように

そして、僕の魂はこの月の夜に昇天し

おそらくは僕の無存在を償うに違いない・・・

血文字




今生きている事に何の意味もなく

したがって、死ぬ事にも何の意味もない

整形と化粧の果てに

多数者への追従のその果てに

大いなる栄光があるのだとすれば

そんなもの、僕はいらない

僕は素顔のままで

気が違ったままに死にたいんだ

僕の魂という一本の絵筆で

この世界に大きな血文字を残してから

壊れてしまえば





壊れた人生 狂った頭脳

そんなものを僕は生きたい

もう飽きたんだ 秩序だった人生の道筋、引かれたレール

スキルだの資格だのと・・・僕の知った事じゃない

今、僕は雨に打たれて、空の下にある

それが僕だ 僕の全てだ

敗残を知った原始の兵隊・・・それが僕だ

誰に認められる事もなく、誰かを信じる事もなかった

ただ、僕だけの狂気を貫いたーーーそれが僕

ああ、今、僕にパスカルの、ニーチェの狂気をくれ

すれば、僕はこの嵐の中を天まで駆け上ってやるから

『機械』



生きる事を止めてしまおう

死ぬ事なく

そう、僕達は肩の荷を外してしまおう

僕達は魂の底からの敗北者だ

・・・それを今、誓おう

僕達は破れた者だ 人生を棒に振った仲間だ

・・・だから、人々がこうも必死にしがみついている

社会の秩序を、世界という名の檻を

思い切り笑ってやろうではないか?

死ぬ事もなく、生きる事もできない悲しみと苦しみをバネに

人々がしがみついている生を大爆笑で吹き飛ばしてやろうではないか?

・・・君とは一体、何だ?

それは皆に同調する為の『機械』なのか?

『死』



「みなさんが幸福を目指した所で

みなさんはどうせ死ぬのです

結果は全部同じなのです

・・・だから、今日は一杯盛大にやりましょう!

・・・おや、みなさん、どうされました?

そんな、嫌そうな表情をされて

まるで、みなさん

自分がいつか死ぬと忘れていて

今日をはしゃいでいらっしゃったかのようだ・・・

みなさんがこれまで口酸っぱく言っていた『希望』とやらは

それから目を隠すための一種のめくらましででもあったかのようだ・・・

みなさん!・・・どうされました?

一杯、やりましょう・・・どうせ結果は決まっているのですから

『今日』ぐらいは楽しく!!」



・・・・・・聴衆はおもむろに立ち上がり

その演説者を叩き殺した 

しかし、だからといって、『死』は消えたわけではなかった

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