FC2ブログ

物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

僕の思考は 

僕が誰なのか

僕は知らない

僕は世間話をする

僕はアルバイトをする

僕の年収は二百十万円だったり

一千五百六十二万円だったりするのかもしれない

僕の年齢は三十五歳だったり

一億八百三十二歳だったりするのだろう

僕は僕が誰なのか知らない

僕は僕が一体、何なのか知らない

でも、僕の想像力には

年齢も性別もなければ、あらゆる環境も

肉体の欠損すら、それほどの効果をもたらさない

考えている僕は、どの僕とも違う

それは広大な宇宙の存在のような気がする

人々がやがて滅亡していくものにすがりついている時

僕の思考は宇宙を知ってる

海が空を知るように

宇宙がそれを生み出したであろう神を知っているように

僕の思考は全部を知っている

今、生まれたばかりの赤ん坊が

この世界で始めて見せた笑顔の事も

僕の思考は全部知ってる


スポンサーサイト



私とは何か





私とは何か

私とは何だろうか?

パスカルがうまい事を言っている

・・・「誰かが窓際に座っていて道行く人を見ようとする

すると、そこに私が通りかかる

だとしたら、その人は『私』を見ようとしたのであろうか?

答えは、否。」

例えば、私がイケメンだとしよう

そして、私が金持ちだとしよう

誰からも羨まれるような存在だとしよう

すると、一人の美しい美女がやってきて

私の事を心から愛す

だが、ある日、私は突然のアクシデントと交通事故によって

自分の金を全て失い、そして、命を取り留めたものの

その顔面はイケメンとはとてもいえないものに変貌してしまう

すると、心から私を愛していたはずの女は私の側から去ってしまう

しかし、私は女に怒る事はできない

何故なら、女は私を愛していたのではなく

私に付随する私ではないものを愛していたにすぎないから

それはつまり、裸の私ではなく、私の衣服を愛していたようなものだ

再び、問おう

私とは何か?



死後に笑え

    



人は日々、さまざまなものに耐えて生きている

人は日々、さまざなものを抱えながら生きている

そして、時に、その重荷につぶれてしまう人達もいる

自分という存在の重荷に、自分の自由意志が

耐え切れずに壊れてしまう

そこでは、人は饒舌になり、まるで勝ち誇ったかのような顔を見せる

敗北した者達の嬉しそうな顔が、私には見える

それはまるで宗教者達が見せる、あの喜悦の顔

自由意志を自己と対決させる事は

パスカルの言うように「呻きつつ、求める事」かもしれない

だが、そのパスカルもまた最後には信仰へと堕ちた

パスカルと逆の道をたどったニーチェは

栄光の狂気へと昇華された

私達の自由が求める道は

おそらく、絶えず、小さな敗北を噛み締め続け そして

その事を糧にし、少しずつ階段を登っていくほかないのだろう・・・

私達が向上しようとする限り、その前方には常に、敗北と悔悟があり

私達が下降を始めると、意識はやに下がって、勝利の喜悦を漏らす・・・

おそらく、私達の生涯とは苦悩と苦心の楔の道に他ならない

そして、そこで勝利の顔をした敗者の人々とも出くわす

人々は私が暗い顔をしている事を罵り、あざ笑うが

私にとってあなた達の笑顔は

私の魂が千年前に既に看破したものなのだ・・・

一人、そう思い、私は歩く

私の栄光の微笑は

死後に美しく花開くだろう・・・

詩はやがて、現実の一部になる

    



詩人が詩を書けば

そこには一つの表現が生まれる

余人はそれを見て

そこに何か、美しいものの根拠があるような

錯覚をするが・・・それは間違いだ

詩人が知っているのは僕達に与えられたのと全く同じ

平凡で空虚で怠惰な世界

だが、詩人は全ての天才画家と同じように

人とは違う「眼」を持っている

それで、彼の眼を透して見れば

途端に、平凡なものは美しく輝くのだ

だから、僕達は詩の奥に

本の奥に何か非凡なものを期待してはならない

詩人や哲学者というのは、きっと、この世にもっともうんざりした者達で

彼らはそこで「自殺」という選択肢を選ぶ代わりに

「創造」という一つの死の代替物を取り上げたに過ぎない

だから、絶望は創造の母であり

そして、意思こそが創造の父なのだろう

僕達が発見しなければならないものはいつも自分自身の中にあるものであり

そして、それは外側の世界の物象を伴って表現される

だから、その外側と内側がうまく重なって表現されれば

この世界にまた一つの新しい表現ーーーーーつまり、

詩によって造られた新しいもう一つの、そして、とても小さな世界が花開く事となる

そして、それはいずれは現実の一部となり、人々に読まれ、流布されて

そうやって、フィクションと現実は交流を重ね

その中で世界は少しずつ年を取り賢くなっていく

今、僕がこの言葉達に込めた想いは

やがて一つの現実となるだろう・・・

詩という、もっとも、空想的な道具を通じて

読者へのお願い

 


私という人間が涙を流すと

「世界」もまた涙を流す

韻を踏んだか、どうか

規則に則っているかどうか

過去の誰々という詩人に似ているかどうか、と

玄人の方達は言ってくれるが

私はまだ

彼らの涙を見た事がない

詩の魂がここにあると

私は涙を流す

そこには一つの沈黙が必要だ

私は今、それをここに、この紙に書き写す

すると、魂は文字の間から逃れ去ってしまう

そこで、慧眼なる読者にはお願いしたい

文字と文字の間にこぼれ去った一粒一粒の魂達を

読者自身の精神に則って再構成する事を

つまりは、魂なくしては魂ある文字は読む事はできない

優れた作品は優れた読者あって はじめて

完成するものとなる

私の本物の表情

時が笑い

私も笑う

子供達が泣き

大人達も泣く

知らず知らず、私達は

「笑う」事を忘れている

お笑い芸人の一発ギャグで顔をほころばせ

会社と家族では怖い顔

泣けるメロドラマにほろりと泣いても

市街を行けば無表情

私達の感情はどこにあるのか

どこに私達は感情を置き忘れてきたというのか

そこで「時」を遡れば

生まれた時に大泣きした自らの姿が見える

逆に時の流れを早めれば

死に際して笑っているもみくちゃの自分の顔がある

そこでこの二つの感情が

私達の発する、多分、真実(ほんと)の表情だという事に気づく

私達はこの日常で、どれほどこせこせと

自分達の感情を押し殺している事か

逆に、愚かなバカ笑いや悲しんだフリが

いかに氾濫している事か

私は今、ここで世界に背を向けて泣く

そして、同時に世界の方を向いて笑う

それが私のたった一つの本物の感情

残念ながら、その表情はこの「世界」によって

誰にも見えないように仕組まれているのだが

該当の記事は見つかりませんでした。