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物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

怠惰な僕

  怠惰な僕


夜は更けてゆくので

僕はお酒をいただきます

深夜の孤独に身を浸していると

まるで、この世界は無いかのよう

でも、それがあることが、

かすかな音の響きで分かります

だけど、僕は世界が目覚めるその日までは

ずうっと眠っているつもりです

怠惰な僕

でも、いつも何事かを考えている

考える事が何かに繋がると

信じているわけではないのだけれど

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沈黙と言葉

 


沈黙は木のようにそこにある

人が美に感動した時

恋に心奪われた時

どうして、言葉が介入する余地があろうか

沈黙ができなければ

その空白は饒舌で埋める他ない

だから、誰もが語る

自分の事 他人の事 世界の事

でも、それは木ではない 花ではない

花の美しさを語る事は断じて

一輪の花ではない

だが、何故だろうか

今、僕の暗闇の静寂に

沈黙が舞い降りてくる時

それを僕が言葉で語りたいと願う事は

神のコーラ


 神のコーラ


中年女はふと、

鏡の中に昔の自分が映っている事を願った


駅前でビラを配っている男は

トイレで小水の切れが悪くなった事を嘆いた


若年の我々は

ただ、老後を心配して日を過ごした


そして、死の間際の老人は

なぜだか、幸福そうであった


それを見ていた神は

何だか泣きたい気持ちになってしまったが


彼はそれをぐっとこらえて

手近のコーラをぐっと飲み干した

人間には言えない真理

みんな、楽しそうだな、と

ふと思う事がある

そんな時、僕はくしゃみをする

したくなくても、わざと



ふと、僕は

十年後の事を考える

すると、それは永遠先の未来のように感じる

十年も持ちこたえられものが

今の世にいくつあるだろうか?



馬鹿馬鹿しい事だが

友人と名乗る者や恋人と名乗る人と

僕は駅でたまたますれちがう人のように出会う

僕もかつては誰かの親友や恋人を気取ったものだが

今は、何だか仮面舞踏会に出ているような気分

祭りが終わればみんな解散で

そうして、その終末はすぐに来ている



・・・そんなことばかり書いている僕

何故、自殺しないの?と人に問われれば、

死に損なったのさ、と逃げ口上を垂れるばかり

それでもしつこく食らいついてくるなら

僕同様に死ねない絶望を味わうべきかも



全てが終わるなら

全てもまた始まるだろう

僕はいつだって、人々が終末を見るときに

希望を見出してきたはずだ

もちろん、その逆の事も

これまでに多々あったんだけど



そうして

そうして

朝日の中で

僕は何を言えばいいかわからず

変わらず変転し続ける太陽に向かって

人間には言えない真理を

吐露したんだ

今週のサイコパスについて(十七話)

 僕は毎週、サイコパスという虚淵玄氏原作のアニメを楽しく拝見している。ところで、今週、そのアニメ内で、かなり重大な転回が起こった。ここの所は大切な事なので、メモ風に書いておきたいと思う。

 元々、このアニメ作品は、オーウェルやディック、あるいはマトリックスのような作品を下地にした、わりとオーソドックスな、ディストピアものとして、はじまった。この設定自体は非常にありふれたもので、それは作者自身もその事を意識して、そうしているという様子もありありと感じられる。
 ところで、問題としたいのはその事ではなく、その先にある。・・・ので、簡単におさらいをしてみよう。
 この「サイコパス」の世界では、「シビュラ」というコンピューターによる管理システムによって、社会に適合する人間と、そうでない人間を分別するようなシステムになっている。・・・そして、適合しない人間は早い段階で、排除され、そうでない人間は、このシステムの中で安寧に生きる事ができる。・・・ところが、この適合しない人間を排除する側の、「公安」の主人公達のチームは、一人の特異な犯罪者を追う内に、システムそのものーーーこの排除と適合のシステムそのものに対する疑義を次第に持ち始めるようになった。・・・そして、その疑義は、今週の放送回によって、非常にはっきりとした形で具現化した。・・・つまるところ、その管理システムというものも、結局は、少数の専制的な連中が築いたーーーいわば、オールドな独裁制であり、そして、結局は、それにシステムという皮を被せたものに過ぎなかった、というものだ。
 以上は、僕の勝手なあらすじ説明だが、この説明ではよく分からないという人は、本編を見てもらいたい。さて、問題はここからになる。・・・虚淵氏が、こうした問題を設定し、暴露してみた過程には、かなり重要な問題がある、という事だ。
 ・・・ここからは、あくまでも、僕の勝手な推論である。そして、おそらくは虚淵氏の意図以上の意味を誇張して語る事になる。・・そして、誇張された所は、虚淵氏ではなく、おそらくは、僕の恣意的な意見である。・・・しかしまあ、語る意味のある事だと思うので、とりあえず、書いてみる。

 ・・・こうした、システムというものの問題設定、この虚構が真実であるような社会体制というものを何故、虚淵氏が描こうとしたのか(たとえ、それが商業的な意義にもとづいていたにせよ、作者の本質性があらわれていれば、それは一つの自立した芸術作品として扱えるはずだ。)。ーーーそれに対する、僕の答えというのは、非常にシンプルなものだ。つまり、現代に住んでいる我々が、正にそういった状態にいるのではないか?・・・という問題意識を、虚淵氏が抱いているからではないのか、という事にある。・・これを自覚している人は少ないが、我々は無意識の状態においては甘受している。(自分の無意識を生涯に渡ってだましつづけようとする豪胆な自意識「的」人間もいるが。)だからこそ、この作品が我々に与える衝撃は大きい。・・・結局の所、人は、自分が所有していないものに、感激する事はできない。目の見えない人に、絵画が見えないように。・・・だが、目が見えないよりも、もっと悲惨な事は、心の目が曇っている事である。・・・だが、こんな言い方がセンチメンタルに聞こえる人もあろう。・・・という事はつまり、それこそが、心の目が開いていないという事を証明するのではないのか。
 ・・・話を続けよう。・・・だから、問題は、現代に生きる我々にとってのシビュラシステムとは何か?・・・という、やや通俗的な問題設定になってくる。・・・しかし、それには当然、疑問はあるだろう。・・・多くの人は、常に、フィクションを軽蔑し、現実を重要視するものだ。・・・だが、現実と何か、という問題がここでは起こってくる。しかし、それも後回しにしよう。
 ・・・我々の現実を振り返れば、敗戦という、もう僕達の世代では想像だにできないような巨大な事態からスタートを切り、そこかからは一貫して、平和と秩序のシステムを作り上げてきた。・・・僕達は生まれれば、家族という秩序の中に、そして成長していくにつれ、学校、社会という秩序のシステムの階段を昇る、という神話が信じられてきた。・・・だが、今や、その神話は崩壊しつつある。
 シビュラシステムによって、管理された社会というのは、我々が自分の責任を自分の外側に預けた話だと言える。今週の17話で、その事に鴻上が触れる場面が有る。

 「(人々は)危険がそこに確かに存在するが故に、逆に存在しないものとして扱わないと正気が保てなかった。」

 この言葉はもちろん、象徴的な言葉である。・・・が、しかし、人の盲目というのは、やはり大したものである。こうして事実を裏返しにしてみせた言葉を出したところで、人は、やはり、その言葉自体を「存在しないもの」として、扱うからだ。


                              ※

 僕達がこれまで信じてきたところ、また、今も信じ続けようとしているものについて、考えてみよう。・・・僕達の社会はまだ、シビュラシステムには、支配されていない。現実はフィクションとは違う。だが、果たしてそうだろうか?・・・というのが、最初の問題になる。
 すでに言ったように、盲目にとって光とは意味を為さない。だが、はじめから見えないのではなくて、見ようとしないから見えないのだが、人はすでに、この「見ようとしない」無意識すら、見ようとはしていない。・・・こうして、全ては漠然たる不安へと変化していく。我々に敵はいないのだが、背後からは常に不安を感じている。・・・全ては、鴻上の言うとおりなのだ。
 例を一つあげるとしよう。それは、例えば、オウムサリン事件のような、巨大な事件で片がつく。・・この特異な事件というのは、誰もが直視することを心の中で拒否するほどに、巨大なものだ。・・・この事件は、とあるカルト教団(と、とりあえず呼ぶ)が、東京の地下鉄などで、一斉に毒ガスを撒くという、極端に異常な事件である。そして、何よりも、異常なのは、それが現実に起こったという点にある。・・・すでに、想像力の明敏な、芸術家などは、平和を装った社会の裏側の腐臭を鋭敏に嗅ぎ出し、それを表現に定着していた。・・ところで、現実に起こった事というのは、それを裏付けるどころか、それより遥かに巨大な現実であり、事件だった。・・・もし、こんな事件を、例えば、僕が、実際の事件の前に、小説作品として世に問うていたら、僕は、確実に「こんな事は荒唐無稽だ」と笑われていたに違いない。・・・だが、それは起こった。それは現実に起こったのであり、嘘ではない。・・・しかし、これほどの特異な事件であれば、その衝撃は容易に消化できない。だから、この事件からは、誰もが目を背けた。だから、このように巨大な事件は、いまだ、フィクションの次元に漂っているともいえる。・・・我々が見るには、あまりに、光も闇もまた強すぎるのである。
 我々はこうして、あらゆるものから目を背けて生きている。「そうでなければ、正気が保てないからだ。」他の理由はない。・・・そして、このような事を、アニメという、サブカルチャーの中の登場人物が吐かなければならない事に、現代の僕達の状況というものがある。そして、それ以上は、おそらく言うべき事ではないだろう。真実は吐かれた。で、あるとするなら、あとは受け取る側の問題である。受け取る側が拒否し、蹴飛ばした所で、真実というものは、その性質によって、軽蔑する人間の背中にぺったりとくっついているものなのだから、そうした行為は全て無駄であろう。

 
                              ※
 
 さて、問題をもう少し進めようか。・・・僕がこのノートを書き起こしたのは、以上のような事を言いたいがためではない。問題は、今週の回によって、明らかになったある点について・・・である。それはまだ、はっきりとはしていないが・・・。つまるところ、それは、我々を防護し、我々の盾となり、また我々を支える全てであるはずのシステムが、一部の、奇矯な連中の、独裁的な支配だったという事が暴かれたという事だ。・・・この点は、まだはっきりとはしていないので、間違えるかもしれないが、とりあえず話を進めてみよう。
 システムそのものの、正体が、我々にとっての善ではなく、実は悪なのではないか?・・・という問題設定というのは、象徴的というよりは、暗示的だと、僕は感じる。つまり、それは今の我々ではなく、これからの我々の予測図のように、僕には見える。
 現代の日本ーーー今の状況はどうだろうか?。・・・安寧は崩れ、神話は崩壊しようとしている。我々の安定した人生プランなるものは、刻々に変化し、未来に明るい兆しはない。・・だが、元はといえば、人々の言う未来の明るい兆しとは、安定と、レールの上を乗った人生ではなかったのか。・・・だとするなら、それほど、暗い未来はないだろう、と僕などは思うが。全てが決定済みの人生ほどつまらないものはないからだ。最初から、未来が光で満たされていれば、我々が自力で光をともす機会は永遠にこないではないか?・・・おそらく、突き進む人間というのは、いつも、この薄明のぼんやりした現実を、真っ暗闇に変えてから、火をともすのであろう。
 余計な事を言った。・・・そして、今や、このシステムの崩壊の兆しが我々に危機感を抱かせている。と、ここで、我々の世界に一つの転回が起こり始めている。・・・つまり、罪人探しである。なんのことはない、かつての魔女狩りと全く同じ現象である。人々は崩壊が始まると共に、その責任を転嫁する為の誰かを今、必死に探し始めているのである。・・・それは、ちょうど、幻視を見る精神病患者のように、目の前の空に敵を描き出す。やがては、祭壇ができ、この無名の魔女は火あぶりにされるのだろう。 
 さて、ここで僕が何を言いたいか。・・・システムそのものが悪であるという問題設定は、ここにある。悪というのは常に背後にあるのかもしれない。我々は、それを、常に前に考えるのだが。
 我々のシステムは、もはや、変質してきている。システムの批判が、新たなシステムへと、構造へと変化する。・・・かつては、恒常的、安定的だったシステムは、それが崩壊をはじめるやいなや、攻撃的なシステムへと変化する。・・・このシステムは、我々に厳命する。「この船は沈みかけている。犯人は〇〇である。〇〇を殺せ」と。
 さて、ここで、善と悪は入れ替わる。・・・このサイコパスという作品では、システムに対する反抗が描かれているというよりは、システムの転覆すら描かれている。これは僕達にとって何を意味するか?・・・などと、問うまでもないだろう。作品世界が何を示していようと、それが現実よりも速いスピードで流れているなら、我々は何かを感じざるをえない。現実とは何か?フィクションとは何か?・・・いまさら、言うまでもないだろう。問題はひとえに我々にかかっている。システムの厳命は個人の内部までは侵食はできまい。もし、そう望むなら。だが、もし逆を望むのであれば、人は糾弾する悪魔へと、システムそのものへと変貌する。そして、それは衰亡の成れの果てである。
 この作品がどういう結末を示すのか、それはまだ僕にもわからないが、ここまででも、我々が感じざるをえないものはすでに、放映されたはずだ。後は、目をつむるのも、目を開けるのも、僕達の勝手である。問題ははじめ、向こう側にあったが、作品が終わり、我々がフィクションから戻ってきた時、すでに問題は我々の胸の中に宿っている。・・・・・・・・・・とはいえ、まだ、この作品は終わっていないが。・・・・とりあえずのところ、僕は、言いたい事は言った。

ゴッホ 「カラスのいる麦畑」

  ゴッホ 「カラスのいる麦畑」



僕の目の前に

ゴッホの「カラスのいる麦畑」の絵がある

それはまるで子供の描いた絵のように僕の前に掛かっているが

それは同時に子供には決して描けないものも含んでいる

それは嵐の前の晩のように

何かの予兆をはらんでいて

希望とも絶望ともつかない

二十世紀へ突入する現実を

映し出しているかのよう

僕の目の前に

ゴッホの「カラスのいる麦畑」の絵がある

それは人々がこの絵に対して無限に費やしてきたともいえる

沢山の言葉達をはねのけて

まるでまっさらな処女の少女のように

僕の目の前にこうして掛かっている

僕はそれを見て、一人でこうしてここで生きている 

絵の奥に続く世界を

現実という拙劣な一枚の絵の中から

想像しながら

耳の欠けた神

  耳の欠けた神



透明な僕らは一体

どこへと行くのか

透明な彼らは一体

どこへと消えるのか



誰もが両手を出して

銅貨を求めている

だが、その顔は王のようで

しごく、威張り腐っている



今、君が顔を背けたものが

やがて、君を打ち倒すだろうと

王宮魔術師は告げる

だが、彼はすぐに磔にかかり

全てはなかった事に・・・



人々の自足した顔の裏側に

無限の穴ぼこがあって

時々、僕はそこを泳ぐんだ

何ものも身に着けていないから誰よりも自由なんだと

少しだけ信じながら



それでも、僕も少し寂しくなって

人恋しくなると、僕はすなわち

手近の誰かにメールを送り、電話をかける

・・・でも、それは僕の求めている人ではない



だから、僕は迷惑なやつ

おかげで僕は夜中に一人酒を飲む事しかできない人間になってしまった

誰のせいでもない 僕のせいだ・・・

そんな時・・・そして、そんな事をわざわざこうして

詩に書き写してしまう時、僕は

自分の内部に耳の欠けた神が見える事がある



そいつは老人のように何かをわめているが

僕の耳には決して聞こえない

でも、そいつが必死に何かを喋れば

それだけで僕の寂しさも紛れるんだ



そして夜は更けて

やがて雪が降り出す

雪は僕の上にも神の上にも

平等に降りかかるはずだ


夢/雨に煙る校庭

  夢


みんな、幻

みんな、夢だから

僕はいつか、ちゃんと

目が覚めると思うんだ

目が覚めたら

たとえ、そこが精神病棟の一室でも

監獄の中だったとしても構わない

だって、夢の中にいるよりは

ひとひらの現実の方が大切だから

だから、僕は

夢から覚めたいんだ




  雨に煙る校庭
 


私は小学校の校庭を思い出す

雨に煙るその校庭を・・・

その光景に、私は写っていない

その光景に初恋のあの子は写っていない

その光景に、一番怖かったあの先生は写っていない

でも、その校庭には雨が煙っている

誰もいないけれど、雨が煙っている

そこが取り壊されて、駐車場になった後も

その駐車場が雑居ビルになった後も

そこにはやっぱりその校庭があって

そして、そこにはやっぱり雨が煙っている

そして、私は少しの間

架空の小学生となって、そこで遊ぶのだ

自分へ帰る

 


僕は馬鹿なんで

あなたをただポカンと見ている

あなたは表通りを歩いている

何かに急き立てられるように



もし、僕達に人生というものがあるのなら

それは僕達とは違った

誰かの所有物に違いない

僕はそんな事を思いながら

少し、あなたの背を追いかけた

「これじゃあ、ストーカーだ」と

心の中で呟きながら



あなたの姿が僕の視界から消えた時

僕ははじめてせいせいとした気持ちになった

これで、また自分自身に帰れるのだ

何も存在していない空っぽの

空孔のような自分へと、再び

優しい気持ち


何も言う事はないので

僕は黙ってしまいます・・・

あなたが一人で涙を流している時

僕は優しい気持ちになります

誰かに見られる事を期待して

たとえば、お葬式でわざとらしく大声で泣くような人

そんな人に出会うと、僕は

とげとげしい気持ちになります

でも、そうすると、僕は

「心がない」と人に叱られます

僕は僕の大切な心を守りたかっただけだと

弁解しても、もう遅い・・・

あなたが一人で涙を流している時

僕は優しい気持ちになります

あなたが僕の事なんかこれっぽっちも考えていないから

だから僕は優しい気持ちになります

雨の中の風景

  雨の中の風景



雨の中で

僕は一つの風景を見ている

それは壊れた風景で

僕の知っている風景では、ない




雨の中で

僕は二つの風景を見ている

二重にかすんだこの世界

僕の目に雨混じりの

涙がつい、紛れ込んでしまったのか



雨の中で

僕は三つの風景を見ている

みんなの魂は鬼火のように

豪雨の中を幽霊船のように走る



雨の中で

僕は四つの風景を見ている

宇宙の果ての孤独な天使の遺児

さあ、おいで 仏様の掌にお乗り

そこはちょうどアンドロメダ座だけども



雨の中で

僕は五つの風景を見ている

それは球体に閉じ込められた

もう一人の僕の姿



雨の中で

君は一つの姿を見ている

それは雨宿りをしている

僕の姿

詩の飛翔

 詩の飛翔


詩が何を歌おうと

知ったものか

詩は歌を歌い

僕達はそれをただ聴いているだけだ

批評家と通がやってきて あれこれ言って

とりまき連がうんうんわかったようにうなずいて

それで事は終われり、と・・・

誰もがそんな風に考えても

詩は詩の世界を

まるで白鳥が大空を舞うように

飛び狂うのだ

どこまでも

詩を書くという事

 詩を書くという事




沈黙する為に

僕は詩を書いている

一本の草木となる為に

僕は詩を書いている

自分という存在を忘れる為に

僕は詩を書いている

そして、書いた詩はすぐに忘れる

それは今、僕がこの瞬間に脱ぎ去った

僕という人間の抜け殻だから

そうして、僕はまた

新たな詩を書く

知っていますか?

知っていますか?

あなたの手の温もりを

それは、温かいのですよ

北極の氷よりは、少し



知っていますか?

僕の名前を

僕の名前は「noname」といいます

どこでもあなたは見かけるはずです



知っていますか?

それぞれの魂の色を

人を愛する時には、ワインレッドになって

愛していないのに肉を抱く時、それは

ドス黒い紫色になるらしいです



知っていますか?

戦争が起こっている国や

十歳の子供がマリファナを吸っている世界を

それでも、その人達だって 僕らと同じように

誰かを愛したり憎んだりして生きている事を



知っていますか?

あなた自身を

あなたが昔、置き去りにした

本当のあなた自身を





知っていますか?

2013年の雨





雨が降っていると

みんなは傘を差した

だからって、雨は傘を憎んだりはしない

雨はただ、降っているだけ



忙しいサラリーマンはタクシーを降りると

天を見て、チッと舌打ちした

そして、小走りで駅構内へと

入っていった

その時、同じ雨は

メキシコの作物に潤いを与えていた

その作物は、この夏に

何万人かの命を救うのかもしれないが



雨が降っていた

誰かが僕の肩を叩いた

僕は振り向いた

それは見知らぬ誰かだった



世界の上には

雨が降っていた

人間はその為に、大きな傘を作った

人間全部が覆えるくらいの大きな傘を

だけど、雨はやっぱり

のほほん顔で降り続けていた

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