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物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

貝殻を拾うポール・ヴァレリー




壮年のポール・ヴァレリーは海辺を歩き
一つの貝殻を拾う
彼はそれを家へ持って帰って じっと眺めた後、ふと
「人と貝殻」という文章を書き始める
…以上は僕の想像に過ぎないのだが
ヴァレリーが「人と貝殻」という文章を書いたのは本当である

                 ※

ヴァレリーは問う 「この貝殻を作ったのは誰か」と
ヴァレリーには貝殻は美しい芸術作品と見えており、同時に
数学的、幾何学的対象として見えている
ヴァレリーは貝殻は一体、誰がどんな目的を持って作ったのかと考え
つい、うっかり自分の神性を発露してしまう
僕はヴァレリーの言葉を読みつつ考える

「自然はそもそも目的論的に作られてはいないが、人間はそれを目的論的に問う事ができる
芸術作品の『作者』の精神の座をイメージする事は、批評家にとっては普通の事だが
人はこれを自然に対しても向ける事ができる
しかし、目的なき自然の中に、ある法則性を見出す事のできる人間という存在は
どうしても自然を生み出した「神」という存在者を想定してしまうだろう
この点では科学者も芸術家も変わらず、両者とも宇宙の中に秩序を見出し
秩序から自らの創造物を創りだす
その経験は今…例えば、一片の『貝殻』へと向けられて
貝殻の奥にヴァレリー自身の『神』を見出す
そのような事もあるのではないか…」

そんな事を考えている間にヴァレリーの幾何学的解説は進む
ヴァレリーは哲学者のように観念にも移行せず、数学者のように概念にも移行しない
彼はやはり普通の自然観察者のように手元の貝殻をいじくりながら
「人と貝殻」を書いている
最後にヴァレリーは海辺に戻って
貝殻を海に放り込んでしまう
彼は一編の詩を書きおおせたから、もう貝殻は必要ないのだ…
貝殻は波の中に消え
ヴァレリーは海辺から去る
それから百年近くも経った現在
僕はヴァレリーの「人と貝殻」という文章を片手に持って
その「目的性」を問おうとしている
海辺に佇んだポール・ヴァレリーがある日、貝殻を拾い
その目的性について思考したように

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