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物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

D猫殿下さんについて

 鍵盤系の動画を探している内に、「D猫殿下」という人に辿り着いた。ニコニコでは有名らしい。演奏を聴くと、確かに素晴らしい。だが、素晴らしいのはただ演奏が上手いからではない。演奏が、技術が自分の感情表現になっている所が素晴らしい。現在、音楽や芸術が表現だという事を知っている人はごく少数に限られる。大抵の人間は趣味と理解するか、「やっぱプロはすげー」という安易な考え方、また巧拙を問うだけの問題になっている。

 上手いか下手か、という事ばかりが常に問題になるのは、頭脳や理性全盛の時代だからだろう。だが、その分析はここでは行わない。僕はまた別の事を言おう。

 音楽に関しては素人なので、当てずっぽう言ってみる。D猫殿下さんはピアノの強弱を思い切り付けている。あるいはリズムの遅速の幅も、他の人より広いのではないかと思う。これは技術として行っているのではなく、彼女(女性?)の感情表現が他の人よりも深いからだ。そして、それはこの演奏者の人間性とも関係がある。このD猫さんの演奏を聴いて、始めて僕はピアニストも詩人であるのだという事を思い知った。詩人が詩を書く時、彼は彼を見ていない。彼は、自分の感情を見つめる存在だ。D猫さんにとって、鍵盤は詩人における言葉に当たる。彼女が音符を並べる時に、彼女の感情がそこに現れる。ピアノの演奏動画とか、オリジナル曲動画やヒットしている初音ミクの動画などを最近、ちょこちょこ見てきたが、その中で、自分の中でピンと来るものはなかった。それぞれがそれぞれの枠にはまっているように感じたからだ。大体、ピアノ動画は、自分の技術を他人に見せつけようとする人がほとんどだ。それを視聴者が褒めるから、投稿者も良い気分になる。だが、そこにはそれほど大切な問題はない。現代というのはとにかくそういう時代で、脳髄皮質に色々な感覚を送ってやろうと「システム」の方で常に身構えているような時代だ。誰もが、一時的な気晴らしを求めている。D猫さんに関してはそれとは違う。彼女はアーティストとして優れていると、僕は思う。(どうして組曲ニコニコ動画を演奏しなければならないのかはよくわからないが。)だが、それゆえにおそらく彼女は孤独であろう、とも僕は思う。そしてこの場合、この孤独は優れた(本物の)アーティストに与えられる称号のようなものにあたっている。

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