FC2ブログ

物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

ソロスから始めて

ソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオソロスは警告する 超バブル崩壊=悪夢のシナリオ
(2008/09/02)
ジョージ・ソロス、松藤 民輔 (解説) 他

商品詳細を見る
 ソロスは非常に大切なことを言っている。ソロスによれば現実はいわば評価によって変化すると言っているのだ。(私はそう受け取った)

現実を評価するのが評価であり、それによって現実は変化しないというのがいわばこれまでの通説だったわけだが、(それだから真理は存在できたのだ)もはや金融市場においてはこれは崩れているという。(そしてそれは物理科学においても量子論という形であらわれてきてはいるが)そして金融市場とはいわば経済における頂点なのだから、その影響は全体に波及する。(実体経済さえも)だから現実そのものが評価ーーー人の思考によって変容すると言っていいだろう。

現実を考察するのが評価であり、評価ーーー思考というものが現実に変化を与えない(ニュートンがどう考えようが、太陽の運行が変化する訳ではない(と考えられている))ということがこれまでの前提となって真理、学問の正しさ、正確さが保証されてきたわけだから、これまでの真理は一度廃棄される必要があるだろう。(学者達はおそらく自分達の正しさを証明するために現実の方をねじ曲げるに違いないが。そしてそれによってくしくも自分達が一つの宗教の信奉者であったことが明かされるーーー「真理」という一つの宗教が)そして新たな「真理」はもっと行動的なものとなるのだろう。つまりカントが言った通りに(僕が正しくカントを読んでいればだが)我々は現実をありのままに見ることができない。むしろ我々は現実を歪めることによってしか見ることができない。いや、むしろこう言うべきだろう。ありのままの現実などというものはない。歪んだ現実しか存在しない。我々が殴れば手の方もいくらか凹むのである。

世界は関係しつつ動いている。そこでもっと歩を進めよう。そのことはハイデガーも考えたに違いない。彼は「人間」という隠し子を取っておいた。しかしもはやそれを取り去ってもかまわないだろう。

我々はもはや一人の人間としての個体などはない。我々とは殴る手そのものであり、行動し変化しているものーーーいや、変化そのもの、行動そのものなのだ。そして対象と対象がぶつかる時に一瞬の静止画が得られる。そしてこの静止画がこそがかつて「人間」として名付けられたものなのだ。おそらく。

スポンサーサイト



無趣味のすすめ 拡大決定版 (幻冬舎文庫)無趣味のすすめ 拡大決定版 (幻冬舎文庫)
(2011/04/12)
村上 龍

商品詳細を見る

この本だったと思う。村上龍は殆どの人は失敗して成功しないまま浮かんでこない、というようなことを言っていた。
でもそれは違う。殆の人は「失敗すら」しない。失敗とは何かをしようとしてうまくいかないことだが、殆どの人は何かをしようとはしない。決められた物事の内を守っていて、それ以上出ないように互いを見張っているだけだ。
それともう一つ、柳井正ははじめにユニクロ一号店を出す時、失敗できない立場だったと言っているが、それも違う。もしそれで失敗して破産しようとも柳井正が真にバイタリティある経営者なら、それを糧として必ずや立ち上がっただろう。人間は何もないところから立ちあがることができる。今日の日本は戦後の焼け野原から生まれた。

ランボー

地獄の季節 (岩波文庫)地獄の季節 (岩波文庫)
(1970/09)
ランボオ

商品詳細を見る

 貴様の魂を俺が喰ったとて驚くに値しない。君は俺だからだ。
 君は泣く時、パンを齧るか?俺は齧ることにしている。ごまかすために。
 所詮、異国人同士だ。俺の魂は君には伝わらないだろう。君は笑っているがいい。故国フランスで。
 俺はこの国でーーー日本で、泣いていることにする。
 
 俺は君を待っている。君がやって来るのを。
 

ジム・ロジャーズについて

冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界バイク紀行 (日経ビジネス人文庫)冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界バイク紀行 (日経ビジネス人文庫)
(2004/03/02)
ジム・ロジャーズ

商品詳細を見る

世界は人々に満ちている。そこに「他人」の姿などない。みんな、私たちの姿なのだ。
人は書物を他人をのぞき込むように読む。そしてそこに「面白い」物語を読む。だがこの「面白い」は全く残酷なものだ。人はこの事を忘れている。否、故意に忘れているのだ。私たちは他人の姿を自分の身が切られるように読むことができない。刀で惨殺されるのはいつも人間の姿をした他人なのだ。
この書物には一人の優れた批評家が世界を巡り肌で感じ、考えた優れた断想が散りばめられている。もちろん彼は投資家という肩書きを持っている。しかし今の僕にはそんなことはどうでもよいことのように思える。経済は株式や金融という迂路を通っても最後には人間に行き着く。人間に行き着かない学問が、経済というものが一体何だろうか?全てのものは人間が生み出したものである。
もちろんこれは冒険小説として読むことができる。それも極上の冒険小説だ。人は見て、考えて、学ぶ。そんな単純なことが実践されている。
現代はどんな時代だろうか?混沌を極めた一種の壊乱期だろうか?どうもそのように思える。ただ人々は正しいと信じているものをとうに時代遅れになっていると気付かずに信仰しているだけだ。「正しい」という標語を被せて。そんな場所からは鋭い批評家も、賢い投資家も立ち去る。もうすでに崩壊しているのに上がるはずだという事を信じて株価が上がり続けるはずがなかろう。投資というのも、結局はこうした人間哲学なのだ。こうしたことをジム・ロジャーズは教えてくれた。

このカテゴリーに該当する記事はありません。