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物と精神

詩・小説・批評・哲学など テーマは「世界と自分のあり方」全体です

死までのほんのひととき


 夜寝る時、これでまた死に一歩近づくんだなと思う。

 僕は1LDKに一人暮らし。恋人もいなければ友達もいない。会社で必要な業務だけこなして、後はアパートに帰ってくる。ただ、それだけの人生。

 趣味はゲームとか読書とか。ありきたりなものを少し。それだけで、人生の退屈な時間というのは十分埋まっていく。僕は時間を埋めるのが得意だ。そうしている間にも少しずつ、「死」は近づいていくる。

 三十を越えた年から、年齢の事を考えなくなった。死の事ばかり考えるようになった。

 死は少しずつ近づいていくる。毎日、明かりを消す度に死は向こうからこっちに擦り寄ってくる。衣擦れの音が聞こえるようだ。

 死はどんな相貌をしているだろうか。無教養の天才バカ野朗、モーツァルトは毎日、死と共に生きていた。彼は毎日、死を思いながら寝ていた。彼の音楽の背後には、死がぽっかりと口を開けて待っている。人は誰でも、死という暗穴に落ちるまでの間、ただ踊り狂って暮らす。できる限り派手に踊れた奴がこの世の王者という事で、賞賛されたり、死を克服したかのような見かけを持たれたりするが、実際はそんな事はない。彼らは大抵、死から目を背けているだけだ。ただ、それだけだ。

 僕は自分の人生が何でもない事を考える。あるいは、この世の中自体が、馬鹿げたパーティーのように、ほんの賑やかなざわめきとして消えるべきものなのだ。パーティーの後に、後片付けをしない子供のように、人類は地球を汚したまま消え去っていくだろう。こいつらは。ほんとに。

 パチリと電気を消す。目を瞑る。何も変わっていない。

 この一千年、二千年。人類は進歩しなかった。…いや、進歩したと人は言うだろう。労働環境は改善され平均寿命は伸び、さまざまなテクノロジーが発展し、世界経済は常に大きく動いている。世界中であらゆる人はそれぞれに、それぞれの努力をしている。日本が悪いのはどっか別の国のせいなのかもしれない。あるいは世界がおかしいのは一部の秘密結社のせいかもしれない。でも、それら全部が間違っていようが正しかろうが、僕には全て淡い夢のようなものに思えてならない。

 少なくとも、僕の人生が何でもない事は確定している。僕は生きている自分を不思議に思う。物置の端っこに置かれて、何を照らすでもなく、ただ消滅するまでの間燃え続けているろうそく。それが僕だ。僕は少しずつ燃え尽きていっている。孤独に、一人で死に向かって少しずつ近づいている。

 でも、人に助けを求めようとは思わない。溺れている人間が別の溺れている人間の肩を掴んでもしかたないじゃないか。大体、他人というのは面倒だし。僕は一人でいる事に馴れている。

 だから、僕は一人で少しずつ死に近づいている自分を不満に思わない。社会でただのロボットとして生きている自分をなんとも思わない。そんなものだと思っている。

 そういう僕もまた世界の片隅で生きていて、その事はどんなデータベースにも保存されない。戸籍には残るだろう。だが、戸籍なんて何の意味もないデータだ。僕の内面や心理についてはわからないまま。僕の本質はただ一時の事として消える。ろうそくのように、ただ消えていく。

 ああ、世界が消えていく。僕は不思議に思う。どうして世の中の人達は自分の死について思わないのだろう。どうしてあんなはしゃいでいられるのか?

 今日も仕事を終え、アパートに帰ってくる。風呂に入り、飯を食べ、インターネットを見て、布団に潜り込む。

 電気を消すと、死がこっちに近づいてくる音が聞こえる。死は僕の友人となりつつある。

 少しずつ死にゆく個体。ハイデッガーやサルトルなんかに言われなくても、死は、僕の身近にいる。僕はそいつの顔を覗き込む。そこには僕自身の顔が映っている。僕自身が、僕の死神なのだ。

 さて、寝よう。目を瞑る。そのまま、眠ってしまう。夢も見ない。寝ている間は、死の事も死神の事も忘れている。それなのに、死の存在を僕は感じている。透明な皮膚の奥に死がいるのを、感じる事ができる。

 ぐっすり眠る。意識がない。死んだように眠る。

 そして、朝が来る。朝が来ると、面倒くさそうに目覚まし時計を止めて、僕は起きる。

 そして。

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グラウンドに流れる永遠について

 大学のグラウンドは広くて、僕一人の手に負えない。でも、贅沢に、僕はそこを使っていた。
 ボールを蹴る。壁に当たる。跳ね返ってくる。また、蹴る。
 サッカー選手の中村憲剛は、バルセロナのセルヒオ・ブスケツを尊敬しているらしい。ブスケツのポジショニングは完璧だ。彼はクレバーな選手で、常に、相手の動きを読み、試合全体を俯瞰して、ボールをコントロールしていく。
 でも、こんな話、サッカーに興味のない人にはどうでもいいだろう。じゃあ、僕はどんな話をすればいいのか。
 この文章ーー今、書いているこの文章、読むのは多分、三人くらいなんだけど、じゃあ、その三人の興味ある事を書けばいいのか。イチローはあんまり本を読まないって話を聞いたし、モーツァルトも読書家ではなかったらしい。じゃあ、イチローやモーツァルトになるためには、どんな本も必要ないっていうのか。多分、そうだろう。実際にそうだったろうし。
 どんな事を話しても聞いても感じても、それは僕一個人の身体に収まる事柄である。それが、哀しいし、嬉しくもある。なんと言えばいいのかわかんないけど。
 ボールを蹴る。強く、蹴る。すると、うまい具合に飛んでいき、壁の真ん中に当たった。壁の真ん中には円が描いてあって、僕はそれを狙っていたのだ。
 ボールは的を射抜いて、足元に帰ってきた。よし、よく帰ってきた。僕のサッカーボールよ。これで、中村憲剛にもセルヒオ・ブスケツにも負けないプレイができるぜ。ボールよ。お前さえ、言う事を聞いてくれれば、億万長者になれるのにな。メッシにもクリスティアーノ・ロナウドにも負けずに、ゴールを叩き込む事ができるのにな。そしたら、車を五台持ってセキュリティが完璧の高級マンションに住んで、ロシア出身のモデルと付き合う事ができるのにな。しかも、モデルの女は向こうから寄ってきてくれるんだ。そうだ、最高じゃないか、フットボール。
 もう一度、ボールを蹴る。強く、蹴った。ボールの下を強く擦りすぎて、ボールは上に飛んでいった。壁を越えて、後ろのネットに当たった。ボールを取りに行かなくちゃならない。やれやれ。僕はこんな風にして、何者にもなれないんだ。

                       ※

 休憩。自動販売機でポカリスエットを買って飲む。おいしいな。運動の後の水分はすごく、おいしいな。
 マジ、おいしいな。ベンチに座ってポカリを飲む。
 僕はもう大学四年だった。就職活動をはじめなきゃいけなかったけれど、やる気がなかった。一度、会社説明会に行ったんだけど、担当の社員が、プレゼンテーションはじめて、馬鹿馬鹿しくなって、やる気がなくなってしまった。社員によると、我が社は毎年、右肩上がりを続けているのだという。更には、世界との競争に勝つために、日頃から努力を怠っていないのだという。
 そんな事より、週の休みがどれくらいになるのか、残業はどの程度なのかという具体的な話を聞きたかったのだが、どうでもいいクソビジョンを社員が語り始めたので、うんざりしてしまった。他の、就活大学生は、うなずきながら聞いていた。どこにうなずく所があるのか僕にはわからなかった。世界と競争したいなら勝手にしてろ! 僕には新作のエロ動画と、酔って吐くゲロだけがリアルなんだ! あとは知った事か!
 …なんて事を考えていると、世の中の「流れ」とやらに取り残されて、あっという間に時代遅れのジジイになるらしい。僕としては時代遅れのジジイになる気満々だった。六十過ぎて女の尻を追いかけ続けるのが、理想の姿だった。時代から遠くはなれて、痴呆になるのが僕の望みだった。でもまあ、まだ時間はありそうだ。大学生だしな。まだ。
 日影からグラウンドを見るのは気持ちが良い。空には、雲があり、雲は風に流されている。

 子、川のほとりに在りて曰わく、「逝くものは斯くの如きかな、昼夜をやめず」

 孔子という、人生失敗した爺さんはそんな事を言った。あの爺さんは偉かったと思う。説教臭いのが玉に瑕だけど。
 爺さんは、川を見て言ったのだ。「川は昼夜関係なく、流れていっているぞ」と。対して、人間共というのは、時代だの流れだの新作だの何だのごちゃごちゃ言って、人工的に流れを作っている。僕はその流れに乗る気がなかった。
 そして、人々の流れから離れると、自然が変化していっている事に気づく。
 いっつも、車に乗って移動しているクソセレブ共は自然の変化には気づかないだろう! 雪の冷たさを感じる事ができる人間は、雪の中で死んでいく人間だけなんだ! そいつだけが、キタキツネレベルではじめて「雪」を感じられる。今の人間は生まれてから死ぬまで、なんにも感じず、考えずに死んでいく。あらゆる悲惨が取り除かれているから、何も体験する事ができない。…そんな事を思った。
 馬鹿だな。僕は笑う。馬鹿だな。
 雲がゆっくりと流れていった。僕はそれをじっと見ていた。
 その時、僕は雲だった。ああ、誰がどう言おうが、その時の僕は雲だったんだ! 悪いか! 僕が雲で!! 僕は流れだ。流れそのものだったんだ!!

                   ※

 休んでいたら、ゼミの桜井がやってきた。桜井はゼミのイケメン学生だ。もう内定先も決まっているらしい。なかなか、気さくでいい奴だ。
 桜井は僕を見つけて、近づいてきた。何の用事で来たかはわからない。話しかけてきた。
 「よう、何してんの?」
 「いや、別に」
 立ち上がって、足元のボールをポンと蹴り出した。桜井の方に。
 「サッカーしてたんだ。お前もやる?」
 「いや、俺はいいよ。お前がサッカーやるなんて知らなかった。意外だな」
 「僕だってサッカーやるんだぜ。中村憲剛やセルヒオ・ブスケツに負けないくらい、頭を使ってサッカーやるんだ。ポジショニングも完璧さ。こいつで、ロシアの美女を捕まえるんだ」
 桜井は(何を言っているのかわからない)という表情をした。頭の上に「?」が浮かんでいた。
 「…またな。俺、用事があるから」
 「ああ、また今度」
 桜井は去っていった。あいつは、用事があるんだろう。僕と違って。何か、とても大事な、意味のある用事が、あいつにはあるんだろう。でも、僕にはなんにもないんだ。
 僕は再び、ベンチに座った。そして、そのまま、その場所から動かなかった。僕は永遠に、大学のベンチに張り付けられていた。


 それから、長い時が流れた。とてつもなく長い時が流れた。僕はベンチに座り、この世の全てを眺めていた。ただ、眺めていた。

 その後、何が起こったか……それは知らない。当方の管轄外なので、知りません。とにかく僕はそんな風にベンチに座ってたって事だ。それ以上にはどんな意味もないんだ。くそったれ。

三世の書

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 私は風だ。

 この一文を読んで、あなたはどう思うだろうか。人間というのは不思議なものだが、人間はこうした文章を暗喩として受け取る。人間の世界には直喩とか暗喩とかいう区分けがある。

 だが、そんな区分けは無意味だ。人間の世界にとっては意味があるのかもしれないが、少なくとも、私からすれば無意味だ。もう一度言おう。

 私は風だ。

 これは比喩ではない。私は風だ。

                           ※

 風が吹いていた。人はそう言う。私は確かにそのように吹いている。

 無論、「風」というのは言葉にすぎない。名詞に分類されるらしい。しかし、これは風だという「風」の本体をどうやって取り出す事ができるのか? 私はただ吹く。それはただ動詞として存在すれば十分な代物だ。私は名詞ではない。

 より正確には、私は動詞ですらない。風と風でないものをどうやって区分けするのか。「大気」と呼ばれるものをまず明確に科学的に定義して、その変化を「風」と呼ぶか。ではまず「大気」を明確に説明せねばならない。しかし、その前に、「酸素」とか「二酸化炭素」を明確に定義しなければならない。化学式を正確に定義したければ、まず、その定義と君達が呼んでいるものを定義しなければならない。いつまでも君達は定義しなければならない。君達はそんな事ばかり、二千年もやっている。

 私はただ吹いていた。それだけだ。

                          ※

 風は爽やかだ。そんな言葉もただ人間の方で勝手に決めた事柄に過ぎない。人間の好きでそう言っているだけだ。

 私が常時、三百度の熱風を吹き荒らす存在だったとすれば、人間は私を「爽やか」とは決して呼ばなかっただろう。私は「爽やか」であるわけではない。ただ、そのように感じる人間がいたにすぎない。

 私は吹いていた。世界中のあらゆる場所を。人間達の目からは、私は世界中のあらゆる所に吹いているように見えるだろうが、事実は逆だ。私は、私が吹いているあらゆる場所に人間が現れるのをこの目で見た。人間には知る事のできない私の目で見た。(今言っている事は人間の特性に合わせた表現であるにすぎない)

 しかし、そうして現れた人間もこれまで私が見てきた様々な生命のほんの一つにすぎない。私は、人類がこの先滅亡するのを怖れて自殺した青年を知っている。一体何をそれほど怖れるのか。自分達だけが滅びる事のない特別な存在だと思っているのだろうか? 私は滑稽にも感じたが、憐れにも感じた。

 青年の葬儀の際、風はいつもより強く吹いた。それは私からの手向けであったと思って構わない。もちろん、それが手向けだと感じた人間は一人もいなかったのだが。

                           ※

 私は吹いていた。ただ、吹いていた。ただただ吹いていた。

 人が殺され、死体が切断される時、少女が強姦されている時、少年が首を吊っている時。

 科学者が野原でインスピレーションを感じた時。ピアニストが山の中で霊感に打たれ、美しい曲の最初のフレーズをひらめいた時。

 人々が労働し、眠り、性交し、愚痴り、罵り、勝手な事を各々にやっている間、私は吹いていた。風として世界中を運動していた。

 私は風として吹いていた。過去にも未来にも吹いていた。人類はこの先、まだ見ぬ場所に私がいる事に気づくだろう。まだ人類が探索する事のできないミクロの領域、マクロの領域、様々な場所で私が吹いているのを発見するだろう。私はそこでも吹いている。風として運動している。

 今ーーこの今もそうだ。スコットランドの草原で少年がはしゃぎまわっている。少年は強い風に吹かれるのが楽しくて仕方がないようだ。少年は風に吹かれて、吹かれるままに走ったり、転んだりしている。親は近くに見当たらない。一人で遊んでいるらしい。

 私はしばらく、少年と一緒に遊んでやった。少年の思うままにーーそして時に、少年に逆らってーー突風を吹かせてやった。少年はキャッキャッと遊んでいた。転げ回り、服を草まみれにした。

 空は広大だった。空と私は兄弟のようなものだった。

 私はそうやって一時間も遊んでいた。少年は遊び飽き、自分の家に帰り始めた。私は少年をそっと見守った。

 おそらく、少年はこの先、風の事なんかなんとも思わなくなるだろう。十年もすれば、人類の機構に巻き込まれ、ただ自分の目的を達する事だけ考えるようになるだろう。目的の外で、私がどのように吹いていようがいまいが、そんな事は関係ないものとして考えるだろう。きっとそうなるだろう。

 私はその事を知っていた。そうした事は知っていてもどうなるものでもない。私はただ、吹いていた。

 少年は家に辿り着いた。陽が傾き始めていた。空はまだ明るいのだが。不思議に透明な色をした空。私はそこにも自分を充満させていた。

 家の中には風はない。私は締め出されたというわけだ。小さな、ほんの小さな風しか起こらない。

 ある時から人間は囲いを作る事に腐心しだした。囲いを作り、その中を彼らの王国とした。私は締め出された。もちろん、だからといってどうというものでもない。私はその外を、ただただ吹いていた。

 私は過去からずっと、吹いてきた。神の命令で、吹き続けてきた。…いや、神が命令する最中にも私は吹いていたから、神よりも古い過去から吹いていたのかもしれない。

 私は吹いていた。風として運動していた。

 今、草原を渡る一つの風がある。私はそれが自分自身である事を感じていた。

 草原には人間が一人もいない。それでも休む事なく私は吹いていた。私が吹くと、草花は様々な反応を見せた。それぞれに右に曲がったり左に曲がったり、花びらを閉じたりした。私はそれらの変化を楽しんでいた。

 私は吹いた。ただ、それだけだった。私は吹いている自分を感じていた。西から東へ、あるいは東から西へ。様々に吹いていた。

 どこまでも吹いている自分がいた。私は自分をはっきりと身の内に感じていた。そしてそのように吹いている自分もやっぱりーー吹いているのだった。

 西から東へ。あるいは、東から西へ。

 ぴゅうぴゅう、と。

2017年の片隅より

 


 『多分、君は僕の事を知っているだろうし、僕も君の事を知っている。
 
 僕は君が、一人でいる時、自分自身をどんな風に見るのか、よく知っている。君が隠したとしても、僕には君の一人での姿というのがよく見えている。君は人前にいる時はおもいきり見栄を張ったり、演技をしたりしているのに、一人になると急に恐怖心に駆られる。君はもしかしたら「ライン」をやっていて、始終、人と繋がっていないと不安になるタイプかもしれない。
 
 君は僕の事もよく知っている。君は電車、あるいは都市のどこかで僕の姿を見つけたりすると、僕の事をーーさぞ、しみったれたつまらない人物だろう、と考える。そしてそれは正しいのだから、僕も人の事は言えないよ。

 君は一人でいる時、本当の自分になる。その事を知っているのは君の恋人でもなく、友人でもない。また、君自身すらその事は知らない。
 
 君はこれまでの人生、自分の醜さを自分の美しさだと勘違いし、自分の美しさを醜さだと誤解してきた。だが、それはどうやら逆だったような。君にも今や、美の意味がわかるだろう。
 
 僕? 僕には、だって……。いや、僕だって自分の事を語らなきゃいけないな。僕は実は……いや、止めておこう。僕に語るべき生活なんてないし、僕には意味がない。君は僕を、テキストの羅列だと見ているかもしれないが、それは間違いなく正しい。仮に僕が人工知能だとしても、君は僕の事を人工知能として、そのままに信頼してくれるだろう。もちろん、現実の世界には人工知能以上にロボットじみた人間がたくさんいる。彼らに関しちゃ、脳科学の良い研究になるだろう。

 君も知っての通り、人類というのはもう随分と長い間活動している。長い、長いよ。ドラッカーは文明の基、社会の基礎を七千年前の灌漑文明に置いていた。確かに、そうかもしれない。灌漑って君、知ってる? 僕はよく知らない。僕の田舎は田んぼがたくさんあって、水田が多かったので、夏でも周辺はひんやりとしていた。あれは良い日本の風景だと思うけど、柳田国男辺りに言わせれば、あれだってほんとの日本の風景じゃないのかもしれない。

 まあ、そんなよもやま話はいいよ。君は僕の事を知っている。そして僕は君の事を知っている。僕が言いたかったのはただそれだけなんだ。

 いずれ、人間の脳がコンピューターにアップロードされる日が来るかもしれない。その時、「芸能人のスキャンダル」なんてのは消えてしまうのだろうか? それとも人工知能になった僕らは、相変わらず、似たような事をしているのだろうか? あいつは別のCPUに浮気した、だなんて…。

 ねえ、皆はどうしてこんなに怒っているんだろうな? 時々、考える事があるよ。今は2017年だけど、去年辺りから、世界中の皆が何かに腹を立てて、やたら自分達の正当性を主張しているんだ。全く、何が腹が立つんだろう? 僕には彼らが一体何に腹を立てているのか、よくわからない。多分、彼らもわかっていないし、わかりたくもないんだろうね。僕はまあ、コカ・コーラでも飲んでいるさ。夏が来るのをのんびり待ちながら。

 それでは、君、またね。またこんな手紙を書く事にするよ。今はちょっと暇で…というより、気晴らしでね。ふいに君への手紙を書いてみたのさ。次、君に書くのはいつの日かな。まあ、すぐ来ると思うけど。ちなみに君からの手紙は大事に取ってある。君が「返してくれ」と言っても、返さないつもり。

 それでは、また今度ね。…で、今、ふと思ったけど、もう一部の人は「手紙」が何を意味するのかもわからないかもね。これからはそんな世代が主流になるだろう。でも、彼らも「手紙」的なものをツールとして使うんだろうけどね。で、もし君が「手紙」の意味がわからない未来人だったら、君はその言葉を検索してくれたまえ。未来人なら、それくらいすぐにわかるはずだ。君が宇宙人なら……宇宙人なら、どうにもならないな。僕の思念を勝手に読み取ってくれたまえ。

 それでは、また。また、今度。じゃあね、バイバイ。    
                                 2017 2/3』

 流れる物語としての「私」の物語



「私…とは円環する物語、まとまりのついた、言葉の羅列であろう、と思う。私は過去と現在、あるいは未来を行き来する、一つの言葉としての時空体ーーそんな言葉があるとしてーーだ。

 人間は言葉というものを発明して、それによって「他者」を創造した。その時、同時に「自己」も創造した。厳密に考えれば、「私」も「あなた」も言葉によって区別され、定義されているにすぎない。

 バタイユは「エロティシズム」とは、それぞれの孤立した存在が、連続体へと還元する方法だと考えた。しかし、私はこの考え方に異を唱える。これらはあまりにヘーゲル的な考え方であり、私はそもそも、孤立ーー連続というのが単に言葉による概念の差異に過ぎない、と考える。確かにエロスによって人は連続的な過程に還元されるかもしれない。性行為において私達はある恍惚を感じるかもしれない。宗教家の祈りの中に、世界と一致する美しい瞬間があるかもしれない。

 しかし、そんな事がなくても、私達は既に「私達」であると同時に「私」「あなた」でもあるような何かなのだ。「私達」は鏡を見て、鏡に映った私を「自分」と考える。しかし、自分ととなりに映った化粧水の瓶を分けるものは一体なんだろうか? それは「言葉」であり、私は本来、繋がっているとも、繋がっていないとも言えない何かなのだ。私達はどこにも帰る必要がないし、どこにも行く必要もない。私達はどこにでもいるとも言えるし、この世にある定点としてあるわけでもない。それらは言葉ーーしかし、この「言葉」も単に、私達にとってはやはり「コトバ」に過ぎないのである。私は今、語りえない事を語ろうとしているのだろうか?

                          ※

 最初、私は自分の事を「物語」「言葉」だと言った。それは実際、そうなのだ。とはいえ、別に私は「肉体」という機械から開放されたわけではない。私は原初の人間が最初の一語を発した段階から既に開放されていたのだ。

 私の中には無数の過去、対話、データベースがある。私の中には、アリストテレスの「詩学」における芸術の定義があり、ドストエフスキーの人間分析があり、シェイクスピアの情念と理性の分裂がある。マルクスがヘーゲルから受けた影響は私の一部を形作っており、ブッダが菩提樹の下で悟った事柄も、アインシュタインがヒュームから受け継いだ理論も私の言葉の、物語の一部を成している。

 カントがヒュームから受け継いだもの、ウィトゲンシュタインがショーペンハウアーから受け継いだもの、あるいはスティーブ・ジョブズが大学生の時に「書道」の授業を受けた事が彼の製作に役に立った事…これらは全て大きな知性の川を流れていく物語の中の破片である。そして私もまた、物語のほんの一部に過ぎない。

 この物語は言語として過去から現在、未来へととうとうと流れていく。語られた言葉、印刷された言葉、プログラムの言葉、内面で発話された言葉、決して語られる事のなかった言葉、『あなたに触れる』という見えない言葉…これらはとうとうとして河の如く、流れていく。

 ただ、流れていく。何もかも大きな雄大な、流れとして。

 そこで私は生きている。私はこのようにして生きている。私は言葉として生きているのだ。その事を……今思う。

 この人生の終わりに。

 それでは、みなさん。さようなら、また会う日まで。私は現実においては何者でもなかったが、私の物語、言葉は大きな河の中の一滴ではあったはずだ。それでは、みなさん、さようなら。言葉は…何も語らなかった。…いや、言葉は全てを語ろうとして、まだ何一つ語りえないのだ。私はこの河の一部へと消えるだろう。

 それでは、みなさん、さようなら。

 最後に、ありがとう。

                                                    」
    
                          ※

 …上記のテキストは2016年、10月8日、十三時二分にネット上に投稿された。本テキストを書いた人間は、病床にあった無名の物書きだった。彼はアマチュアの作家として活動しており、その活動はほとんど知られる所はなかったが、彼は旺盛に活動していた。
 2012年頃、彼は全身が癌に犯されている事がわかり、入院生活を送る事となった。上記のテキストはこの人物が残した最後の文章である。彼は本テキストを書いた翌日に死んだ。彼は生涯、無名の物書きだった。しかし、彼は自分が過去からの大きな物語の一部である事を知っていた、偉大な物語作者だった。なお、彼の残した遺稿のいくつかは、鳥星社から出版される事となっている。


                 (伊藤計劃さんの事を調べていてイメージが湧いたので書きました。)

渋谷の坂道でスマートフォンが壊れた話




 とある小さな機械がこの世に現れてから、人間は地面を見て歩かなくなった。人はいずれも、「スマートフォン」と呼ばれる小さな端末を通じてしか、世界を見る事ができなくなった。
 人間の目は機械の目に移り変わり、人間は幻想を通じてしか、世界を見る事ができなくなった。彼らから本物の視力は失われ、代わりに精巧な義眼が備え付けられた。
 人は人と会って話す時も常に、「スマートフォン」と呼ばれる端末をいじり、その中を覗き込み、そこで起こる事に一々反応していた。外に出る時も人と会う時も家にいる時も、「スマートフォン」がなければ何もできないのだった。
 人はまるで様々な刺激を、機械を通じて与えられなければ何も出来ない単純なロボットのようなものに変じた。誰かが真摯に自分の哲学を話しても誰も信用しないが、「スマートフォン」から…その内部からもたらされた情報はいともたやすく信じるのだった。
 こうして人はもはや、地面を見る事なく、画面だけを見て生きる事となった。人の生は、「スマートフォン」という画面の中にあるものとなった。

                          ※

 ここに一人の人間がいて、彼もまたスマートフォンを片手に歩いていた。彼は渋谷の坂道を歩いていた。雨が降っていて、道はぬかるんでいた。
 彼は今、仕事の取引先に向かっていた。左手に傘を持ち、右手にはスマートフォンを持っていた。彼はいつもスマートフォンを最新式のものに取り替えていた。その事を職場の同僚に自慢してもいた。
 彼は今、地図を見ながら歩いていた。取引先まではすぐそこだった。
 だが、しかしーーー彼は急に転んだ。渋谷の急坂、雨でぬかるんだ道、両手が塞がった状態など、複合的な状況が生み出した転倒だった。彼は盛大に転び、傘を地面に落とした。スマートフォンも強く地面に打ち付けてしまった。
 彼はすぐに立ち上がった。慌てて、傘とスマートフォンを拾う。周りを歩いている人間は一瞬歩みを止めて彼を注視したが、ただそれだけだった。彼は起き上がり、「あいてて…」といいつつ、片手のスマートフォンが壊れていないかどうか、見てみた。
 スマートフォンの画面にはヒビが入っていた。彼は絶望しながら、電源ボタンを押したが、スマートフォンは点かなかった。彼は更に絶望した。彼はその時にはもう仕事の取引先の事は忘れていた。
 彼はそこらにある建物の陰に入り、座り心地の良さそうな階段に腰掛けた。彼はそこでスマートフォンをいじって、なんとかもう一度復帰させようと思ったが、いくらやってもうまくいかなかった。彼はほんの一瞬の内に起こってしまった出来事がなんであるのか、想起しないわけにはいかなかった。彼は自分が「転んだ」事を後悔したが、後悔しても仕方のない事だった。
 いくらやってもうまくいかないので、彼はスマートフォンの再起動をとうとう諦めた。それは壊れてしまったのだ。もう戻らないのだ。そう考えた時、彼はふと、前方を眺めた。手持ちの機械を置いて、肉眼で世界を見てみた。
 そこには渋谷の街を歩く大勢の人々がいた。驚く事には、それらの内の実に多くの人が片手にスマートフォンを持ち、画面を注視しながら歩いていた。
 彼はこの光景に驚いた。誰も、誰一人として現実を見ていない。それは驚くべき事だった。これだけ大勢の人がいるのに、誰も現実を直視できていない。誰しもが画面の中の世界しか見ておらず、目の前の物事を見ていない。
 人間達はいつの間にか幻想の中に生きる事が通例になっていて、その事に気づきすらしない。あらゆる幻想形態は、「技術の進歩」という美名の下に正当化され、人間はいつかテクノロジーの支配下に置かれる存在となってしまった。彼は、自分が「新しい機械を買ったから」という事で、優越感を保持していた事を思い出した。では、自分は結局機械とテクノロジー以下の存在だったというのか? …きっと、そうには違いない。
 しかし、彼のそんな眼差しも長くは続かなかった。彼は取引先に向かわなくてはならない。今日の商談をすっぽかせば、会社に迷惑がかかり、自分の地位も危うくなってしまう。
 幸い、取引先の地図は紙媒体の形でも持っていたので、その事で問題はなかった。彼は内ポケットから、取引先までの簡便な地図を取り出して見た。
 彼は立ち上がり、歩き始めた。片手には紙の地図がある。雨は降り止んできたので、傘は差さなかった。彼は今、自分が見た光景に思いを馳せていた。誰も現実を見ていない、誰もが片手の中の画面を食い入る様に見入っている、誰もが世界の中におらず、もう一つの違う世界の中に吸い込まれている。これは異質な事ではないのか、これは本来、不思議な事ではないのだろうか? 誰もが世界と自分との間にある隔たりを感じず、誰もがごく自然に、「何か」に支配されている。言葉…画面の中の言葉や映像や音楽が我々の現実に対して指示し、支配し、そこで認められなければまるで自分は存在しないかのような感じがする。事実、スマートフォンが壊れるという事は、自分という存在の大きな機能が壊れるという事を意味している…。
 彼は珍しく、そんな哲学的思考を進めてみたのだが、その思考も長くは続かなかった。彼はただ歩いているだけでは退屈に感じ始めて、そうしてやはり、スマートフォンが自分には必要な事を感じたのだった。(そうだ、どうしてもスマートフォンは必要だ。これがないと仕事にならない。早いところ、修理か、交換をしてもらわないと。明日は休みだから、ショップに電話をかけて、どうにかしてこよう。これがないとどうにもならない。それに、スマートフォンがなければ退屈だ…)  彼はそんな風に考えつつ、取引先までの道のりを歩いた。彼にはやはりスマートフォンは必要なのだった。そして他の誰彼にもそんな世界が必要だった。彼はその事を痛感した。
 彼が取引先のビルにつき、中に入ったあたりから、また雨がぱらつき始めた。雨は人々の思惑を無視して降り始めた。人々は画面が濡れるのを嫌がって、傘を差したり、屋根のある建物の陰に入ったりした。
 人々が画面を注視している中、雨はそんな風に渋谷の街に降っていた。雨はまるで、自分だけがごく普通であるかのようにーーそれだけが自然であるかのように、降り続いた。人はそれを、スマートフォンの画面越しに、「雨の情報」として受け取った。目を見開いて、雨の存在自体を直に見る人間は、沢山の人が息づいている渋谷の街には、ただの一人もいないのだった。


 〈渋谷の坂道を歩いてたら転んでスマートフォンを壊してしまいました。その事に自分で腹が立ったので、このような掌編を書きました。これだけ読むと、僕が文明否定論者のように見えると思いますが、実際にはそんな事もないです。「スマホ壊れちゃったよ、クソ!」という気持ちを構造化しようとして書いた作品で、僕個人はスマホ否定者という事はありません〉


神様とほんとうの神様

 


 「ねえ、お母さん」
 男の子は母親に言いました。男の子はベッドに寝ていました。男の子はもう眠る所でした。母親は側に座っていました。
 「どうして、神様っていうのは一人一つなんだろう? どうして皆は、それぞれの神様が正しいと信じて争うの?」
 男の子は母親に聞きました。母親は男の子の顔を見て答えました。
 「それはね、皆が自分の神様だけが、ほんとうの神様だと思っているからだよ」
 「でも、『ほんとうの神様』はそうじゃないよ」
 男の子はそう言いました。母親は男の子がどうしてそう言ったのか、よくわかりませんでした。
 「どうして? どうしてそう思うの?」
 「だって、神様は一番偉くて、立派で、賢くて…だからそんな風に、皆に争いを起こさせる、そんなものじゃないんだよ。ほんとうの神様は、絶対に、たった一つで、一番偉くて、賢くて…だから、皆をそんな風に喧嘩させたりなんか絶対しない。そんな事させるのは『ほんとうの神様』じゃない」
 男の子は真剣な眼差しでそう言いました。母親は男の子の目を見ていました。
 「『ほんとうの神様』は絶対そんなんじゃないよ。皆が、自分の神様がほんとうの神様だって喧嘩している事は、だからそれはほんとうの神様じゃないって事なんだ。それで、僕は『ほんとうの神様』というのを知っている。絶対に誰にも争いを生まない、本当にただ一つの、一番賢い神様を知っている。でも、僕はそれをどうしても言う事ができない。だって、僕がそれを言うと、皆はそれを、『僕が信じているほんとうの神様だ』って思うからだ。ああ、でも…やっぱりほんとうの神様はいるんだよ、どこかに。でも、僕はそれを言う事ができない。どうしても言う事ができない。でも、それはいるんだ、きっとどこかにいるんだ。ほんとうの、ほんとうにほんとうの、ほんとうの神様っていうのは…」
 男の子のまぶたは次第に重くなってきした。母親は少年が眠たくなってきた事を悟りました。
 「無理して話さないでいいわよ。もう寝なさい。神様の事は忘れて」
 「うん、僕はもう寝る…」
 男の子は目をつむりました。男の子は母親の手を握りました。母親は男の子の手を柔らかく握り返しました。男の子は眠り、空を飛んでいる夢を見ました。男の子の見た夢には、神様は姿を現しませんでした。


作家は誰に向かって語りかけるべきか

 


 ある新人作家が編集者に原稿を持って行った。編集者は伝説の編集者として、業界では名の知られた人物だった。
 「どうでしょうか」
 新人は言った。編集者はざっと原稿に目を通した。作家は原稿に自信を持っていたが、編集者にどう見られるか不安で仕方なかった。
 「ダメだね」
 編集者はあっさり言った。編集者は原稿を作家に突っ返した。作家は、頭に血が上るのを感じた。
 「ダメ……どうしてですか」
 「君の書くものは人間に向かって書いている。人間なんか、語りかけるべきものじゃない。…まあ、君の書くものは人間に語りかける作品の部類としては上等なものだけどね」
 作家は編集者の言っている意味がわからなかった。変人だとは聞いていたが、ここまでとは彼も思わなかった。
 「一体、それはどういう意味ですか? 人間の語りかけるのは間違い? 分かるように言ってください」
 「そのままの意味さ。君の書くものは人間について語りかけている。だから駄目だ。人間なんてそもそも語りかけるべき対象じゃない」
 「じゃあ、一体、誰に向かって語りかければいいんですか」
 「神だ」
 編集者は断言した。作家は目を見開いた。
 「神に向かって語りかけた作品でなければ、毛ほど価値もない。私はそう考えている。作家というのは神に向かってのみ話すべきだ」
 「でも、神なんていません。存在するのは人間だけです」
 作家は内心、ムカムカとしていた。
 「だから駄目なんだよ」
 編集者はポケットからタバコを取り出し、火をつけた。
 「神は確かに存在しない。だからこそ、存在しないものに向かって作家は語りかけるべきなのだ。神は…神という言葉が嫌いなら、真理や本質という言葉で置き換えても良い。…とにかくも作家はそういうものに向かってのみ、自分の心を吐露すべきなのだ。君は人間に向かって語りかけている。それが君の間違いだ。神に向かって、ただ一人神に向かって語りかける事によってのみ、価値が生まれる。君は今、神は存在しないと言った。もちろん、そうだ。しかし、人間は存在するからこそ、その存在を刻々と変化させていく。変化するものなど頼りがないし、意味がない。神は存在しないという理由によって不変だ。だから語りかけるべき価値がある。その神の中に人間の存在も内包されている。神に語りかければ、次第に人間達もその歌に耳を傾けてくれるだろう。私の言葉が信じられなければ、実際君の人生で体感すれば良い。私の元を離れたければそうするがいい。しかし、私達は常に神にのみ向かい合うべきだ。人間と、隣人と向い合っても喧嘩するか、それなりの関係を持つか、その程度の事で終わる。そんな事は『関係』じゃない。神と関係を結ぶ事だけが本当の『関係』だ。その派生として、人間とも関係を持つ事ができる」
 編集者は独断的な調子、威厳のある口調で言った。作家は気圧されるような気持ちがした。作家は自分がこの編集者についていっていいのか、離れたほうがいいのか、判断がつかなかった。しかしとにかくも、編集者が尋常でない人間だという事だけは察せられた。
 作家は一礼して、帰ろうとした。編集者は鷹揚な調子で軽く手を振った。しかし、ふと……作家は一つの事が気になった。彼は振り返って編集者に話しかけた。
 「最後に一つだけ聞かせてください」
 「何かね?」
 「あなたは本当にその神様を信じているのですか?」
 編集者はちょっと困った顔をした。彼は微笑し、苦笑いして……手で「はやくあっちに行け」という仕草をした。作家は渋々、その場を立ち去った。彼はエレベーターに乗って階下へ降りながら、編集者のあの仕草が一体どちらの事を意味しているのか、その事について思案していた。


少女と小説家


  

 世界的に有名な小説家の元に少女がやってきた。彼女は小説家の熱心な読者であり、彼の信奉者だった。二人は会話を始めた。

                           ※

 「先生、私は先生の著書を全て読んでいます。先生の作品は本当に素晴らしく、私は心から感動しました…」
 「それはありがとう」
 二人は大きな木の下で話していた。小説家は三十代で壮健な感じで、立派な服装を身に着けていた。少女は美しかったが、どこかひ弱な印象だった。
 「先生、先生の著書はどうしてあんなに素晴らしいんでしょう…。私、先生の作品に本当に心の底から感動してしまいました。先生の作品を知って以来、私は来る日も来る日も先生の事、先生の作品の事を考えています。でも、私は思うのです。私は先生に比べてどうしてこんなにみすぼらしいのだろう、って。私、それを思うと辛くって」
 「そんなに辛く考える必要はないさ」
 小説家は笑って答えた。彼はまだ問題を軽く考えていたのだった。
 「君はまだ若いのだし、これからだよ。これからさ。僕も君くらいの年にはそんな風に悩んでいたものだ」
 「でも、先生。私には本当に何の才能もないんです。私には先生のように、世界全体を明るく輝かせる才能はありません。先生はその作品でもう一度、この世界を再び、価値ある明るいものに変えてしまっています。こんな世の中、こんな世界…先生、私は辛いのです」
 少女は泣きそうな顔をしていた。小説家は真剣な顔で少女の話を聞いていた。
 「先生、私には本当に何もないのです。才能がないのです。先生のような。ああ、先生教えて下さい。私は一体、どうすればいいでしょう。先生はきっと、ご自身の生活から悲しみも苦しみも味わわれた事でしょう。それを作品から感じます。先生は、ご自身の身に起こった全ての事を作品として、全ての人に還元する方法を知っています。先生の小説が世界中で尊敬を込めて読まれるのはあまりにも当然の事です。先生はその著作でこの世界を作り直し、先生自身の悲しみや辛い思いだって価値あるものに変えてしまいました。でも、それに比べて私のこの人生は何でしょう? 私なんて何もないのです。私なんて、私なんて……」
 そう言うと少女は泣き崩れてしまった。小説家は少女に近づき、そっと肩に手を置いた。
 「そんな風に思う必要はないさ」
 小説家は優しく言った。彼は、自分にそんな読者がいるのだ、という事に心底驚いていた。小説家はその頃、一種の厭世主義に陥っていた。彼は自分の書くものが世の中に全く理解されていない、人は自分の肩書しか見ていない、人はほとんど内容を読まない、という感覚に陥っていたのだった。
 「君がそんな風に言ってくれている事は本当にありがたい事だ。君は…良い子だ。君は私の書くものを理解してくれている。だから、君はそんな風に言うべきではないんだ。君は自分に価値がないなんて言うべきじゃない。私は…君の言う通り、私の作品で人類に共通の普遍的なものを目指している。そしてその事が君の魂に共鳴したから、君は私の作品に感動してくれた。その時、私の作品は、いや、私自身はどこにいるのか? それは君の中にだ。君がそう言ってくれている時、君が私の作品に感動してくれている時、私と君とはもはや分ける事ができない一つの魂の中にいるのだ。いいかい、そんな君は何の才能もないとか、自分には何の価値もないとかそんな風に考える必要は全然ないのだ。君がそんな風に生きているから、そんな風に生きている君がいるからこそ、私の作品には何かの意味や価値があるのだ…。そしてそれはきっと良い事なのだ……」
 少女は感動した面持ちで顔を上げた。少女は泣き止んでいた。
 「ありがとうございます、ありがとうございます、先生…」
 少女は頬を上気させていた。小説家はその顔をじっと見ていた。
 「先生、私は明日、行かなければならない所があるのです。明日、私はもうこの国にはいません。私はとても遠い所に行かなければなりません。もしかしたから、もう二度とこの国に戻ってくる事はないかもしれない。私はどこかへ行って、何かのつまらない人生を送ります。私は何十億人の人間の中で埋もれた生活を送ります…。でもそう言ってはいけないのですね。先生の著作を持って私は行きます。私が先生の御本を読んでいる時、私は先生の魂の下にいるのですね。ですから私は…もう自分の事は考えないようにします。私は一つの肉体を持って生きていますが、同時に全人類と一致した魂そのものなのですから。先生の御本を通して…」
 少女はそれだけ言うと、下に置いたカバンを手にとって、その場を去った。それは頂上に大きな木のある、静かで美しい丘だった。小説家は木の下に立ったまま、丘をくだっていく少女の姿をじっと見守っていた。彼はふと呟いた。
 「あれこそが最良の人間というべき人だ」



 〈この作品は宮沢賢治 「マリヴロンと少女」オマージュ作品です〉

沈黙する芸術家 (小説) 

 

 
 私は小説家だ。これまでに三冊の長編小説を、二冊の短編集を世に出した。私は自分の事を芸術家だと考えていたし、世間的にも私はそれなりの評価を得ていた。私は自分のしている事に対して疑惑を抱かなかったかし、その私に、社会もまたきちんとした地位を与えてくれていた。
 以下に記すのは私とその読者との間で交わされた、ある討論だ。私がその人物と知り合うにはそれなりの経緯があったのだがそれは本質的な事ではないので書かない。簡単な事だけ記せば、私の議論相手は二十代の女性であり、不動産屋で事務の仕事をしている人物だった。彼女は私の小説の大半を買って読んでくれていた。私達はファミリーレストランで待ち合わせして、会った。それは日曜の午後で、店内には人が多かった。

                            ※

 「先生は芸術家ですね」
 彼女が言った。彼女は黒く澄んだ瞳で私を見てきた。彼女の名前は楓と言った。
 「先生は芸術家ですし、それで世間からも高い評価を得ています。その事を恥ずかしいと思った事はありませんか?」
 彼女は真剣な眼差しでそう言ってきた。しかし、彼女の口ぶりに私は、私への憎悪は全然感じなかった。彼女は冷静な感じだった。
 「恥ずかしい? どうして私が恥ずかしがるんだい?」
 「過去には、その時代時代に天才と呼ばれる芸術家がいました。沢山、天才的な芸術家はいました。でも、その内、同時代に評価されて、良い人生を送った人はそんなにはいません。…いいえ、私の考えではきっと、傑作を書いたのに埋もれてしまった芸術家だっていたでしょう。でも、先生は今、世の中でとても評価されています。その事を先生は『恥ずかしい』と自分で思った事はありませんか?」
 「恥ずかしいだって? 確かに、私は世の中からある程度の評価を受けている。金銭的な面でも精神的な面でも。しかし、それは私が社会に対してある価値を提供した見返りとしていただいているもので、私がその事を恥ずかしいと感じる必要などないと思うが? 確かに、私は天才ではないかもしれないけれど」
 「人はそのように言いますね。『私は価値を提供している。報酬は見返りである』と」
 彼女ーー春山楓は手元のアイスコーヒーをストローですすった。私の目の前には彼女と対照的に、ホットコーヒーが置かれてあった。
 「しかしですね、その『価値』とはなんでしょうか? ゴッホは生前、一枚しか絵が売れませんでしたが、彼の死後、彼の絵にはものすごい額で売り買いされました。では、ゴッホは社会に対してどのような価値を提供したのでしょうか? 彼の生前に彼の絵は社会に価値を提供していなかったのに、彼の死後、評価されるようになると急にその絵は社会に価値をもたらしたのでしょうか? そんな事ってあるでしょうか?」
 「君が何を言おうとしているか、私にはわからないな。私だってそれなりのプライドを持って自分の仕事を果たしている。私は編集者と相談して、売れる作品、面白い作品を作ろうと尽力している。その事が…」
 「『尽力』とはどういう意味でしょうか? それは一体、どういう事を意味しているのですか?」
 春山楓は私の目をじっと見ていた。その目は異様に真剣な輝きを帯びていた。
 「尽力は尽力さ。私だって努力は…」
 「先生が尽力しているという事はわかりました。しかし私が問題にしたいのはその先の事です。世の中の人に受けなければ意味がない。人はよくそう言います。結局、全ての物は我々ーー私達が楽しむ為にあるのだ。その為に過去のあらゆる芸術は存在する。しかし、何故そうでなければならないのですか? 私は聞きますがーー先生はどうしてそれを恥ずかしいと思わないのですか?」
 「何故、私が恥ずかしいと思わなければならないのだ? 私が芸術家だからか? …いいか、私は努力してこの地位を築き上げた。私は無名の、何もない人間だった。私は毎日文章を書く訓練をして何度も新人賞に応募した。そしてそこから、私はなんとか這い上がったのだ。どうして君にそんなに言われなければならないのだ? …これでも私は謙虚に接している方だと思うがね。君はあまりに…無礼だ」
 「私が無礼であろうなかろうが、そんな事はどうだっていいんです。先生、例えば、こうは考えられませんか? 先生が受賞した賞というのは大日文芸新人賞ですよね? 純文学の登竜門として有名な? しかし、あのような賞のどこに価値があるんですか? ここ三十年、日本の純文学には大した作家は一人もいません。…いいえ、どのように言い訳しようと、ここ三十年近く、ロクな作家は一人もいません。どういうわけか、この国から天才作家は消えてしまったんです。かつては存在したのに」
 私は春山楓という人物をじっと見ていた。彼女は若く、美しい女性なのに、どこか狂気じみたものを持っていた。
 「先生、どうして先生が自分を恥ずかしく思わないかと言うと…どうしてかと言うと、この世界自体がすでに恥ずかしいものに代わっているからじゃないですか? ベストセラー作品が最も価値の高いものだなんてほとんど誰も信じていないのに、口を開けば、『芸術も世の中の為にあるべきだ』と言う。それはおかしな事ではないでしょうか? どうですか? 先生? 本当に優れた作品は、どこからも見えないものとして存在していて、それはたまたま何かの形で、その『破片』が私たちに示される。ブッダとかキリストかだってその『破片』に過ぎないのではないですか? 私達が目にしている優れたものは、本当は隠されたもののほんの一部分であって、本当に偉大で優れた物事は歴史の中で隠されているか、あるいはその人自身が自分を隠してしまうんじゃないですか? 先生はその事に対してどうお考えでしょうか?」
 「どう考えるも何も…そんな事は私は考えた事がないな。それは一種の哲学であって、私のしている事はただ…」
 「先生、先生は何故、今このように『先生』と呼ばれるんでしょう? そこにはごまかしがあるんじゃないですか? 先生が今いる地位とか、作家であるという事は一体どのような検閲をくぐってきたのでしょう? 〇〇賞を取った、国から表彰された、ある程度の部数を上げたという事以上の価値基準を人が持たないのであれば、そうした事が価値基準の全てとなります。しかし、先生は何故、書くんですか? それを『読みたい』人達の為ですか? ですがその『為』とは一体、何を意味しているのでしょう? 私の知り合いで、作家になろうとしてなれなかった人間がいます。彼は偉大な人間でしたが、新人賞一つ取れませんでした。彼は文学にはさっさと見切りをつけて、今は別の事をしています。世の中はこういう人間には『才能がなかった』というレッテルを貼ります。しかし、一体何故そういうレッテルを貼る事ができるのでしょうか? 私達が普通に持っている基準の方が間違っていたという事はないのでしょうか? そもそも、この歴史それ自体、いや世界自体がそのように存在するというただひとつの理由で正当化されています。しかし、それは間違いではないですか? そしてこの事を今の作家、エンターテイナー、アーティストと呼ばれる人間が誰一人として疑わず、誰も彼もがゴミみたいなロクでもない作品を生み出しているのはどうしてでしょうか? 私にはわかりません」
 「君は間違っている。…君はおかしな迷路に入り込んでいるようだ」
 私はその時には、相手の熱気にほだされて、相手に反論しようとしていた。
 「君がそんな風に考える事が可能なのは、そもそもこの歴史、世界があるからなのだ。君は文学賞や大衆の基準に対して攻撃をかけている。私の作品に対しても。しかし、そんな事を考える事ができるのは、『この世界』があるからなのだ。文学賞の基準が気に入らないだって? 君の友人がどんな人間か私は知らないが、もし仮に君の友人が優れて偉大な人物だとすると、世の中はその人を認めざるを得ないだろう。逆に言うと、人が認める事のできなかった人間というのは、もう無条件に偉大でない人物なのだ。この意味が君にわかるかね? そもそも、世の中に認められなかった人を偉大だと言う事は絶対にできない。何故なら、偉大さというのは偉大さによって人々に認められる事を意味しているのだからね。いいか、君の考えている事は完全に間違っている。君は今ある所から、今ない所に向かって一歩を踏み出そうとしている。君は現実を否定して、理想を捉えようとしている。しかし理想というのは絵に描いた餅に過ぎないのだ。君は私の事が不服かね? 私が有名人で、作家だという事が不満かね? しかしそういう基準だって、世の中がそんな風に定めたのだよ。そして私はその基準をクリアしたのだ。誰がどう言おうと、私は君よりも世間に認められている価値ある存在だ。この意味を君は分かるかね? それは、それ以上に価値基準がないという事ではない。その世間の価値基準はどうしても君の持っている基準よりも価値が有るものだと言わざるを得ないのだ。君は自分の基準を世間のそれより高いと前提しているが、そんな前提はおかしい。誰がどう言おうと、世の中が認めなければその人は偉大な人ではないのだ。この世界に、『本当は立派だったけれど、世の中に認められなかった』なんて人間は一人もいない。何故なら『立派さ』という事はそれ自体が、『人に認められる』という事を意味しているからだ。そして、現に私は認められているのだ」
 「フフッ」
 春山楓は急に笑った。私はドキリとした。
 「思ったより、考えているじゃないですか…。安心しました。それならまあ、『世間様から認められる価値がある』というものです。まあ、あなたの書いているものは芸術的に価値が高いとは言えないですけれど。しかしですね、先生…。先生の言う事に私は全く納得できないのですよ。それは、私がこの世界の基準に全く同意できないからです。仮に先生の言う事が正しいとしても、私は偉大さというのは見えないものとして存在していると考えますね…。それにパスカルやゴッホが死後に評価されたという事がどういう事を意味しているのか、先生の理屈では謎のままです。彼らは彼らの小さな時間軸の中では評価されなかったですが、より大きな歴史的時間の中で新たな照明を受け、その価値を評価されたのです。人には二種類の時間がある。大きな時間と小さな時間。先生と先生の追従者達がいるのは小さな時間の中です。もちろん、今の文壇、純文学、新人の選考基準、それら全てが小さな時間に所属しています。ですがそれらはより大きな時間に突き動かされ、跳ね飛ばされ、そしてとうとう小さな時間は流れ去り、消失してしまうでしょう。偉大なものは本物の姿で世界に姿を現します。しかし、それは氷山の一角に過ぎない。私はシェイクスピアやモーツァルトという氷山の一角から、氷山全体をイメージしているんです。そこでは、ベートーヴェンやアインシュタインだってその世界の住人の一人に過ぎない。非常に大きな時間の中に生きている人は、そのように永遠の中に属しているのです」
 「ふん…大層な事を言うね、君は。君はどうやらただものではないようだ…。でもね、君がいくらそう言おうが、いくら君が真理を語ろうが、今この現実でより価値があるのは『私』の方なのだよ。さっきも言った事だがね。仮に君の言う大きな時間なんてものがあるとしても、人は基本的に卑小な事をして生きているものだ。自分達の立場を肯定してくれる言葉を皆は欲している。誰もが小さな基準に沿って生きている。文学新人賞とか、文壇とか、あるいはもっと他のものでもいい。大学の研究者達や、アニメのクリエイターやテレビの業界人や…そんな何もかもが君には腐りきっているように見えるのだろう。しかし、それでいいのだよ。私達は皆、世の中が望んでいるものを提供しているのだ。私は君と違い、より大きな、広い空間に属している。私は社会に属している。だからこそ、私は社会に評価されている。君がいくら大層な理屈を並べようと君は孤独だ。君はひとりぼっちだ。孤立してみすぼらしいのは君だ。私はそうではない」
 「先生は社会の奴隷だから、社会に認められているように見えるのですよ。一時的に。ですが、社会は奴隷の事なんてすぐに忘れるでしょう。彼らはやがて、主を欲するでしょう」
 「ひどい事を言う」
 「…本当の事です。本当の事を言って何が悪いでしょう? 最近は皆示し合わせたように、本当の事だけは言わないようにしています。私はそれが我慢ならないのです」
 そう言うと、春山楓はアイスコーヒーを一口飲んだ。私は何も飲む気にはならなかった。私は茫然としていた。
 「じゃあ聞くが」
 少しの間の後、私は自分を励ますように声を出した。眼の前の小娘に言いくるめられたくなかった。
 「どうして、君は何者にもなろうとしないんだ? 君は私を、私達を非難するばっかりで、創造的な事は何もしない。私は君のように愚痴ばかり言う人間が大嫌いだ。私は君のような…君は自分でも何を言っているのかわかっているのか?」
 私は思わず机を手で叩いた。バンッと音がしたが、春山楓はたじろがなかった。
 「君はそんな風に知性があって能力があるのだろう? だったら、何かをすればいいではないか? 創造的な何かを? そうすれば、人に認められるかもしれない。君は…大きな時間に生きているのだろう?」
 「確かにそうかもしれませんね」
 春山楓はそう言った。彼女はちょっと宙を眺めてみせた。それはそれまでにない態度だった。
 「その件に関しては確かにあなたの言う通り……でも、本当は沈黙が大事なのだと思います」
 「沈黙だって?」
 「そうです。沈黙の内に生きる事です。何も書かず、何も作らず。さっきも言った通り、本当に良いものは沈黙の内に隠れています。歴史の中に隠れたものが、本物の価値です」
 「では、シェイクスピアやモーツァルトにはどんな価値があるっていうんだ?」
 「彼らは破片です。沈黙の破片。歴史の中に埋もれた沈黙がほんの一時、欠片となって世界に現れたのです」
 春山楓は最後通告のように言った。私は黙った。私はもう何も言いたくはなかった。この女は自分の論理の中に生きている。この女の論理は彼女の中で完全に正当化されている。そしてそれを誰も止める事はできない。たとえ神様だってこの女を説得する事はできないのだろう。おそらくは。
 私はタバコに火をつけて吸い始めた。春山楓はそれに大して何のリアクションも示さなかった。
 タバコを吸っている内に、私はふいに一つの質問を思いついた。それはきっと、私が最後に彼女に尋ねなければならない質問だった。
 「それなら聞くが」
 私は荒っぽい声を出していた。
 「それなら聞くがーーそもそも、君はどうして私の前に現れたのだ? 君は、君のような人間だけは私の前に現れてはいけなかった。そのはずだ。そうだね? だって、君がもっとも重んじているのは沈黙であり、君は沈黙の生を生きている。君は沈黙の内に生きており、それはもっとも価値高いものだ。一方、私は大衆にごまする詐欺師に過ぎない。それはいいとして…だとしたら、君のような『神々しい』人間がどうして私のような人間の前に現れたのだ? それは矛盾ではないのか? つまり、君が今ここにいるという事が、君の理屈の最大の汚点ではないのか? 違うか?」
 私は弱点を見つけ、そこをつついている気分で話していた。しかし春山楓は表情一つ変えなかった。
 「おっしゃるとおりです」
 彼女はそう言うと、すっと立ち上がった。彼女は財布から千円札を取り出し、机の上にそっと置いた。
 「それに関しては全く先生の言うとおりです。先生の言う事がそれに関しては完全に正しいのです。実は私もここに来る間、その事を思いついて、自分で恥じていました。どうして私はこんな事をしているのだろう?…と。しかし」
 彼女はキッとした目で私を見た。それは私の魂を串刺しにするような目つきだった。
 「まあ、それでもいいのかなと私は考えたのです。つまり、『矛盾する事だってそんなにおかしい事ではない』と。そんなに理屈通り生きなくてもいいのだ、と。私は道中でふと考え方を変えたのです。電車の中で、窓から外の風景を眺めつつ。私の目には桜の木が写っていました。桜の木の美しさというのは全く陳腐なもので、嘘くさいものです。私はキライです。しかし、その陳腐さも悪くない、私はそのように考えたのです」
 春山楓は微笑した。私には彼女は悪魔のように思えた。
 「そう、私はそのように考えました。ですから、ここにいる私は矛盾した存在なわけです。先生の言うように、私の理論の中の唯一の汚点(しみ)です。しかし、この汚点を通して見える清潔さもある事でしょう。そんな風に私は考えたわけです。私はとにかくーーそのように考えたわけです」
 私は黙っていた。私はただ春山楓という人物の異常さ、非凡さに目を見張る思いだった。
 「そういうわけです。ですから、汚点はもう消えます。私が消えた後は沈黙だけが残るでしょう。先生の著作はこれからも売れ続けるでしょうし、そこに私のような愚かな、劣った人間の攻撃は歯がたたないでしょう。なにせ、私は元々、矛盾した存在だし、本来存在すべきでないはずの存在だからです。つまり、先生の勝ちなのですよ、結局は。そして私は、自分の敗北の中で自分が本当は勝利している事を深く知るのです。私は沈黙の中で自分の勝利を知る。しかしその勝利は人目に触れれば敗北へと変わるものですから、『結局は』先生の勝ちなわけです。そういう事です。そういう事ですよ、先生」
 春山楓はぺこりと頭を下げた。それは本当に儀礼的な、形式的な態度だった。
 「先生、それではさようなら。不快な気持ちを起こさせて、もうしわけありませんでした。私は去ります」
 春山楓はくるっと振り返って、スタスタと歩き出した。私は後ろ姿を目で追った。彼女は角を曲がり、店員に見送られつつ、自動ドアを開けて店から出て行った。
 闖入者は去った。私は一人になった。私は自分自身の沈黙の中に取り残された。
 それから、私は一時間くらい、その席でタバコをふかしながらぼうっとしていた。今さっき彼女から受けた打撃を修復しなければならなかった。その為にはぜひ、それくらいの時間ぼうっとする事が必要だった。


                             ※

 それ以来、春山楓とは一度も会っていない。
 彼女が私に与えた打撃は深刻なものだったが、私はそれをなんとか修復して作家活動を続けている。春山楓の言った事を思い出すと頭痛がしたが、その事は出来る限り思い出さないようにした。やがて時間が彼女の事を私の頭から消し去ってくれるだろう。
 ただ、一つだけ、彼女と会って以来、私にはそれまでと違う変化が現れるようになった。それは私がインタビュアーによく質問される事ーー「今、注目している人は誰ですか?」の問いに「春山という作家です」と答えるようになった事だ。そう言われると、インタビュアーは「誰ですか?」と皆尋ねる。しかし、私はその問いには明確には答えない。そして次のように、いつも付け足す。
 「いや、以前にそういう名前の素晴らしい才能と出会った事があるんです。ただ彼女は一身上の都合で、創造的な生活からは退いてしまいました。もし、彼女が今もそこにとどまり続けていたら、私などは及びもつかない作家になった事でしょう」


 砂の上の麦わら帽子

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 「君がこれまでに書いた事は」
 と男が僕に言った。男はどこかで見た事のあるような風貌だった。彼は何故か麦わら帽子をかぶっていた。今、そんなものをかぶっているのは狂人くらいのものだ。
 「全て、君自身の人生に対する言い訳と定義する事ができる。君はずっと、自分自身に言い訳していたんだよ。それは、わかるかね?」
 男は僕にそう言った。そこは風の吹く砂丘で、まるでこの世ではない、どこか違う次元の惑星であるかのようだった。
 「そうですかね」
 と僕は気のない返事をした。
 「そんなつもりはないんですが」
 「君がそんなつもりがなくても」
 と男は帽子を風に飛ばされないように押さえながら言った。その声はさっきよりうわずっていた。
 「実際にそうなのさ。君はね、自分という存在ーーその壁に向かって飽くところなくボールをぶつけていたようなものだ。まるで少年が壁にボールを投げ続けるように。君はそうやって、自分自身をいたぶる事を楽しみにしていた。君は確かに…誰かに助けてもらいたかった。だから君はよく、文章の中で嘆いたり、助けを求めたりした。しかし、君はいつも、実際に誰かが助けにやってくると、すぐにその手を払いのけてしまった。そしてまた君は壁に向かってボールを投げ続ける。君の嘆きはどこまでも続く。この世の終わりまで」
 「ルソーも」
 と僕は言った。
 「そんな人間ですね。彼も、人が嫌いでした。でも、人類を愛していました。そしてその齟齬が『一般意志』とか、『自然』とかいう哲学に現れたんでしょうね。カントは生涯独身だったそうですが、でも、カントの生み出した哲学は、多くの子孫を生んだとも言えます。つまりーーカント以降の哲学者は皆、できのいいのもできの悪いのも含めて、カントの子供みたいなものですからね」
 僕がそう言うと、男はこれみよがしに「はあ」と深くため息をついてみせた。そして、言った。
 「私が言っているのは、今のその戯言だよ。君のその戯言ーーその哲学的な戯言、それこそが君の人生を曇らせ、君という人間を間違った方向に導いてきたのだ。いいか、君は何を知っている? 君は『自分が何を知らないか』を告白する事によって、知っている事の代用としようとしている。思えばニーチェのした事もそんな事だ。だが、君にしろ、ニーチェにしろ、君達は根底的に間違っているのだよ。君達は、まず、この世界で幸福となる事を目指すべきなのだ。君達の目指した事は不幸だ。いや、違うな。君達の目指している事は、『不幸を嘆く事』だ。それは今の一部の連中が、嫉妬する事を自分の運命と感じているのと変わらない。彼らは永遠に他人を呪詛し続ける連中だ。彼らは魂の底から不幸だから、いつもいつも『自分は幸福だ』と喚いていないと気がすまないのだよ。…君に、よく似ているな」
 そう言うと男は帽子のつばを押さえながら、遠い目で、風の吹いてくる方角を見つめた。その方向に何があるのかはわからなかったが、もしかしたら、僕には見えない、男にしか見えていないものが存在していたのかもしれない。
 僕は男の顔をはっきりと見定めようとした。しかし男の顔はどうしても陰になって見えなかった。僕は男の顔から目を逸らした。
 「でもねえ、どうしようもないんですよ」
 と僕は言った。僕としては投げやりな気持ちになっていた。
 「どうしようもない。自分というのはなかなか変わらないし、それにそれだって運命の一つじゃないですか? 僕は自分なり努力してきたし、考えもした。僕の人生の最後に、くだらない死があるって事はわかっています。でもだからと言って、どうすればいいんですか? 僕は過去を振り返るにも、未来を見るにも、すぐに悪い事ばかりが思い浮かぶんですよ。良い事はまず思い浮かばない。他人という他人はいつも、僕を攻撃しようと身構えているように見える。例え、他人が無垢な存在だとしても、それはまだ汚れる前の存在であってーーつまり、全ては汚れるんですよ。そして全ては死ぬ」
 「君の言い方をたどると」
 と男が言った。不思議な事だが、男の姿は足元から、少しずつ消えかかっているようだった。
 「全てのものの先に死があるという事になる。君はまた間違いを犯しているな。君がいつもやる間違いだ。君はダーウィニズムと全く同じ間違いをしている。ただし、その方向は逆だがね。君は全てを未来の死の範疇に入れて、現在と過去を消し去ってしまう。そしてダーウィニズムは、発生と進歩の理論の中に個別的存在を入り込んで、全てわかったかのような顔をする。生物学者共が何を言うかはしらんが、彼らよりも、神の存在を頭上に感じていた古代人の方が遥かに賢かったという事になるのかな。…いや、しかし、古代人もまた、神の中に全てを溶かし込ましている点で、変わらない。つまり、そうやって多様で変化しているあらゆるものを無理矢理一つの理念の中に溶かしこんで、安心しようとするーーそれは君達人間がずっとやってきた思考上の慣習なんだよ。では、それを批判したニーチェは何をしたか? …何もしなかった。彼はただ、間違いを暴いただけなんだよ。なにせ、あらゆる真理を否定した以上、自分が新たな真理を提出するのは滑稽だからね。だから、君は君が嫌悪しているものと同じように間違っているのだよ。君は今生きている。これが全てだ。もちろん、君は死ぬがね。だが、君だけにこっそり教えてあげるなら、君が死の観念を持つ事は悪い事ではないよ。ただ、その死の観念を生の為に生かす事ができれば、の話だがね」
 「『生の哲学』というやつですか」
 と僕は言った。男は
 「そんなんじゃない。君の人生、君の今のあり方についての話だ」
 と言った。
 男はそれなり沈黙した。僕も黙った。二人の間を沈黙が支配した。そしてその間、風で砂が流れる音がした。全ては砂でありーー人間的世界は、僕と男の他にはちっとも見えなかった。そして男は不思議な事に、足元から少しずつ消えていこうとしていた。
 僕としては男が消えようと消えまいと、どうでもいい事だった。しかし、男がいなくなると、僕が寂しい気持ちになる事は確かだった。しかし、それでも、男がいるよりはいない方がマシだろう。僕はそう思った。
 「君は」
 と男が沈黙を破って言った。男はもう上半身だけになっていた。相変わらず麦わら帽子を手で押さえていたが。
 「自分が何をしているか、自分が何を間違えているか、もう十分に理解している。君にあと一つ足りないのはーー『愛』だ。この意味がわかるかね? 確かに、君は両親から愛されなかった。人はその生涯を、生涯の最初に受け取ったものを反復して暮らす。大抵の人間はそんなものだ。しかし、君は誰からも愛されなかった故に、誰かを愛さなければならない。そしてそれは人類ではなく、個別的な誰かだ。君はこの意味がわかるかね? 君の目の前にいる人々は決して、『人類』ではない。それは愚かで弱々しい個人なのだよ。しかし、人々は、その事を感じているが故に組織に、集団に逃げ込む。だが、君の愛は個別的であるべきだ。だから、君はーーーいいか。君は『誰か』を愛さなければならない。そしてその為には、まず自分を愛さなければならない。しかし、君達の世界で、自分を愛するというのは極めて難しい事だ。誰も彼もが、自分の不完全さにコンプレックスを抱いて生きている。彼らは様々なメディアによって『完全』を散々に見ている為に、自分が不完全だと否応なく思い込まざるを得ないのだ。しかし、彼らは根底的に自分というものを勘違いして生きている。完全な個人などこの世には存在しない。彼らは完全と不完全の意味そのものについて間違った観念を抱いている。ーーいいか、君。真実は、決して前方にあるのではない。それは『背後』にあるのだ。君は自分の裸身を見た時に、おそらくこの世界の真理を知る事になるだろう。そして、それにはまず、君が君を愛する事だ。そしてそれが直接、他人を愛する事になる。いいか、君が生きているのは、『今ここ』だ。君は、人間だ。いかに君が人間を嫌悪しようと、いかに君が人々にマシンガンをばらまこうと、それでも君は一人の人間なのだよ。例え、人々が認めなくとも、君は今ここに生きている一人の人間だ。定義は関係ない。定義などどうでもいい。いいか、君はーーーーー」
 しかし男はそれ以上言葉を続けられなかった。その時、男の消滅は男の顔にまで達したからだ。言葉は吐かれず、そして麦わら帽子だけが残った。帽子は音も経てず、砂の上に落ちた。
 僕は男の説教を面倒だと思いながら聞いていた。なんだよ、あいつは、と腹が煮えくり返ってもいた。しかし、その後、僕が取った行動は変なものだった。自分で後から考えても、妙な行動だったと思う。僕は落ちた帽子を拾い上げ、それを自分の頭に載せたのだ。
 そしてそれはおそろしいくらいによく似合っていた。真夏にTシャツではしゃいでいる少年がかぶる以上によく似合っていた。鏡がなくても、それくらいの事はわかる。
 そしてその時、風が一陣、ゴウッという音と共にひときわ強く吹いた。僕は風に巻かれた。砂で、視界が曇った。全てが一瞬見えなくなった。そうして、僕も消えた。


                             ※

 目が覚めると、僕は男の事は忘れていた。しかし、説教されたという事だけは感触として残っていた。そしてもう一つーーー僕は頭の上に手を置き、そして、
 「ない」
 と言ったのだった。現実に目覚めた僕の頭に、どこやらの麦わら帽子はもう存在しなかった。




(写真 skyseeker)

 カミーユ・クローデルの写真





 僕が彼女の写真を見たのは偶然の事だった。それは本当に、ちょっとした偶然だった。
 僕はインターネットの海をさまよっている内に、その写真を見つけてしまったのだった。「彼女」は全ての天才がそうであるように、痛ましい表情をしていた。その目は透明で澄んでいて、そして深い悲しみを湛えていた。全ての天才というのは皆目が透き通っている。そして彼らはいつも、現実の向こうにある『何か』を見ているような瞳をしている。その事が、肖像画でも写真でも、いつでも歴史と時間を通して証明され続けてきたように思う。

 今、僕は一人で空を見上げながら、何を思うか。それはーーーいや、もうやめよう。僕はもう30才なのだ。青春は終わった。玻璃の目は膠質となった。全ては砕け、透き通ったガラス片となって、辺りに砕け散った。だから、僕は自分の恋を捨てて、自分の現実を掴む事にしよう。あのアルチュール・ランボーが詩を捨てて、アフリカに旅したように。僕には僕のアフリカがあるだろう。生きるとはおそらく、全てを捨てる事だ。そして残る物はーー何一つない。誰も、僕の名前を呼ばないだろう。

 だが、今、僕は最後にーーー彼女の名前を呼んでおこう。たった一枚の写真で、僕の青春の全てとなった人。その名は「カミーユ・クローデル」だ。


作家桐野龍一氏の元婚約者Kさんへの単独インタビュー





 我が国を代表する著名な作家、桐野龍一氏が亡くなって二十年が経った。桐野氏は幻想的な作風と、孤独や寂寥をテーマとした小説を多く残し、その作品は世界中で親しまれて読まれている。桐野氏の作品は彼の死後、彼の友人が編纂し、自費出版したのが桐野氏の作品が世で評価されるきっかけとなった。
 本号では、特別に桐野氏の元婚約者のインタビューを掲載する。元婚約者Kさんは、桐野氏との数年の交際を経た後に、桐野氏と婚約破棄するに至った。そしてその後、桐野氏との交際は途絶えた。しかし桐野氏はその後もK氏の事が忘れられなかった事が、日記等の解読によって判明している。ちなみに桐野氏は、Kさんと別れてから一年後に病死した。また、Kさんはその四年後に、大手食品会社に務めるY氏と結婚、今は三人の子を持つ母親である。

 
 ーーーこのたびはインタビューをお受けいただいてありがとうございます。よろしくお願いします。


 「よろしくお願いします」


 ーーーまず、単刀直入にお聞きしますが、このたび、これまで沈黙を守ってこられたKさんがインタビューをお受けになった、その心境の変化というのはどのようなものだったのでしょうか?

 
 「心境の変化、ですか。…桐野が亡くなってからもう二十年も経ったという事もあって、私もそろそろ彼の事を話してもいいのではないか、と思ったという事です。一番はそれです。それともう一つはメディアを通じて、桐野に対する誤った印象が広がっているのを少しでも改善したいと思ったためです」


 ーーー誤った印象とは具体的に、どのようなものでしょうか?


 「それはもちろん、はっきりしています。メディア上においては桐野は、とんでもない聖人だったように書かれるか、それとも逆に、実に冷酷で極悪にところもあったなどと、白黒どちらかはっきりするように書かれています。もちろん、その方が一般受けするのかもしれませんが。私の知る限り、桐野は普通の人と同じように、些細な事に苦しんだり、いらいらして八つ当たりしたりもする、普通の人間でした。彼は普通の人間として生きていたのであって、今の研究者達が持ち上げたり、貶めたりしているようなそんな人ではありませんでした。彼は普通の人で、変なところ、間違ったところも概してありましたが、しかし優しいところ、強いところもたくさん持ち合わせている人でした。でも、確かに、彼の中には、人とは違う部分もありました。桐野はいつも、自分と闘っているような人でした。普通の人にとってなんでもないような事、気にも留めないような事を気にして、それで一人苦悩して、苦しんでしまうのです。そしてその苦しみとの葛藤がそのまま、作品の中に反映されたのだと思います」


 ーーー確かに、桐野氏は世界的な作家なので、それに見合ったイメージがメディアを中心に構築されてしまっているような印象がありますね。もっとも有名な作品は、「非存在を目指して」ですが、それらの作品、あるいは執筆に関して桐野氏があなたに何か言った事はありましたか?。


 「桐野は小説を書く事が好きでした。多分、毎日書いていたと思います。でも、私にはそれほど見せたりはしてくれませんでした。でも、時々、自信作ーーー自分で『よし!』と思ったものは私にメールで送ったりしてきました。私はそれに対して肯定的な感想を送りましたが、否定的な事は一切言いませんでした。もし私が、文学に詳しく、彼に色々アドバイスするタイプの女性だったら、あんな風に何年も付き合う事はできなかったと思います。彼は一人で色々とやりたい方でしたので」

 
 ーーーKさんは桐野氏の作品についてどう思っていましたか?


 「正直に言って、彼の作品についてはよく分かりませんでした。今もよく分かりません。桐野が今、世界的な作家だという事も、私の中では全然ピンと来ていません。でも、彼は終始苦しんでいましたので、その吐き出し口として、小説が役に立っているなら、それで良いと思っていました。とにかく、桐野には優しくて感じやすい所があって、私達は誰も責めていないのに、桐野はいつも、自分は何か欠けている存在だと自分の事を思っていたようです。だから、私はそんな彼の肩の力を抜くように、抜いてあげるようにといつも気をつけていました。でも、それも焼け石に水でした」


 ーーー桐野氏は一体、何にそんなに苦しんでいたんでしょう?


 「わかりません。それが桐野の最大の謎だと思います。…でも、多分、彼は自分自身である事に悩んでいたんだと思います。彼はよく言っていました。『生きていく事は嘘をつく事、インチキをする事だ。この世界で何者かであるという事は常に、他人をだまして蹴飛ばして、そして自分の席を確保する、そういう行為だ。でも、僕にはそんな事は耐えられない。他人の幸福を蹴り飛ばしてまで自分が幸せになりたいとは思わない』 彼はよくそう言っていました。そして、私に対しても『僕はお前と結婚したいのだけど、それができない。お前の事は愛している。心から。でも、お前は僕の事を愛していないーーーいいや、違うな。僕がお前の事を愛していないんだ。でも、愛するというのはなんて辛いんだろう!』 桐野は気持ちが激した時には、そんな事を言いました。でも普段はおとなしくて優しい人でした」


 ーーーなるほど。桐野氏は複雑な内面を持っていたんですね。でも、Kさんと桐野氏は、××年に一度婚約をして、その三ヶ月後に婚約破棄されていますが。


 「ええ。あの時は私はーーー嬉しく思いました。いつも煮え切らない桐野にしては、思い切ったものだと。桐野は私と婚約する、と言いました。『結婚して幸せになろう』とも言ってくれました。親に挨拶する、とも言ってくれました。私はその言葉を信じました。私はあの時は心底、嬉しい気持ちでいました。まるで天国にいるかのような嬉しさでした。でも、それは結局、あの人の本心ではなかったんです。そうです。ーーーいいえ、あるいは、彼は私と結婚して、そして平穏な家庭を作る事を望んでいたのかもしれません。でも、桐野の中には、それを拒む何かがあって、結局、桐野はそれを越えられなかったのだと、そう思います。桐野は私と婚約した後に、どんどんと暗くなっていきました。彼は深く懊悩し、そして私がメールを送っても、返事をくれなかったりしました。そしてある時、急に、婚約破棄を切りだされたのです」


 ーーー急にそんな事をされてショックではありませんでしたか?


 「もちろん、ショックでした。でも、それと同時に、とても安堵して、納得する所もありました。『ああ、あの人にはやっぱり無理だったんだ』って。もちろん、それは悪い意味ではありません、桐野はいつも、自分と葛藤して、闘っている人だったので、彼はそのもう一人の自分を乗り越えようとして、そして、結局は乗り越えられなかったんだと。あの人のお父さんは厳格な人でした。そしてお母さんは、物静かで気弱い人でした。桐野は、自分の家族に自分は深く傷つけられていたと考えていたようです。だから、自分が家族を作る事は、また、自分のような子供を生んでしまうのではないかと、その事を恐れていたようです。そういう事を何度か言っていました」


 ーーー桐野氏とお父さんとの確執は今では有名になっています。その事はどう思われますか?


 「確執はあったと思います。でも、桐野のお父さんも、一度会った事がありますが、全然悪い人だとは思いませんでした。でも、少し厳格すぎる所はあると感じましたが。桐野と、お父さんとはまるで逆のタイプの人でした。桐野は繊細で詩人気質で、お父さんは逆に頑健で、生活に向かっていくタイプでした。二人の溝は最後まで埋まらなかったと思います」


 ーーーKさんは桐野氏が亡くなったのを、後で知人から知らされたそうですが、その時、どうお感じになりましたか?


 「どうっ、て?…。(しばし絶句) しばらく何も考えられませんでした。でも、桐野にとって生きる事はあまりにも辛くて苦痛な事だったので、やっとこの世界という束縛から解き放たれたのかな、と後になってそう思いました。彼が亡くなった直後はしばらくショックで、何も手に付かないような状況でした」


 ーーーですが、桐野氏とは婚約破棄して、もう絶縁状態になった後だったのでは?


 「確かにそうですが、彼の事は私の心に残っていました。私は最初、桐野は普通の人だと言いましたが、それは嘘かもしれません。あの人は繊細で優しすぎる所があって、それから身分の違いとか、社会的なポジションの違いとか、そういうものを憎んでいました。だから誰に対しても優しく丁寧でした。桐野が話していたことですが、高校生の時に、彼は剣道部でした。その時、その高校の剣道部では、一年生が拭き掃除をする事に決まっていたんですが、上級生になっても彼は、いつも一年生に混じってそれをやっていたそうです。最初は皆に止められたけど、その内、誰もなんとも言わなくなったそうです。桐野はそういう人でした」


 ーーーなるほど。別れた後も、二人は互いに相手の事が心に残っていたんですね。しかし、Kさんは四年後に、Y氏と結婚されました。


 「ええ。これは偽善と思われるなら、それでもいいですけど、しかし人はいつまでも悲しみの中にはいられないものですし、継続して生きていかなくてならないのだと思います。Yと出会ったのは私の出張先の事でしたが、彼もまた優しい人でした。そして、Yと会った時、ふと、私は桐野が生前に言っていた事を思い出したのです。『僕は多分、あと何年かしか生きられないだろうけど、君はまだその先も生き残るだろう。君はその時、自分を綺麗な、何かしら、「一人の人間を愛した女」みたいな、そんな世間のイメージにとらわれてはいけないと思う。君はそういう方向に行くタイプだからね。君は僕が消えた後、幸せにならなければならない。幸せになる事も、一部の人にとっては試練だ。特に、君や僕のようなタイプにはね。もちろん、すぐに幸せになろうとする不幸な人々もたくさんいるけれど』 私はその言葉を聞いた時は(交際中だったので)、すぐに彼の言葉を打ち消す事を言いました。『あと何年しか生きられないなんて、そんな事は言わないで欲しい。そんな事はあるわけがない』ーーーでも、あの時、桐野は自分の運命についてよくわかっていたんでしょうね。それで、私にあんな事を言ったのでしょう。私はYと出会った時にその言葉を思い出しました。だから、その後、私はYとの結婚を決断しました。幸せになるという事はよくわからない、人生の試練のようなもの。ーーー確かに、私は悲しみの中にいるのが好きな女でしたから」


 ーーーなるほど。よくわかりました。今日聞いたお話で、桐野龍一氏の事が、以前よりも大変はっきり見えるようになった気がします。では、最後に、桐野氏の作品の愛読者に何かメッセージのようなものはおありでしょうか?


 「そう言われましても…。実は私達、実際の桐野を知っている人達は、今、桐野の作品がこうして広く読まれている事にとても困惑しているんです。とても。最近でも、私は書店で桐野の書いた作品を手にとってみた事がありますが、そこに書かれた作品とかそれに捧げられた賛辞などは、私の知っている桐野とはどうしても結びつきませんでした。そこに書かれたものは、誰か別の違う人へ向けられたもの、あるいは誰か別の人が書いたもののような気がしてならないのです。世界中に沢山愛読者がいる事は知っていますが、しかし私はその方達に何も言ってあげる事はできません。何故って、私には、桐野の作品がどれほど人類史上高い価値を持っているとか宣伝されても、現実の彼との思い出の方が大切だからです。私にとってはーーーあくまで私にとっては、彼の作品全部を合わせたよりも、彼との思い出、現実の桐野龍一という人物の方がはるかに大切なんです。桐野はある時、夏場に公園に二人で遊びに行きました所、こう言っていました。 『なあ、K。この世界には本当に色々な人がいるね。この世界にはさ、色々苦しんだり、悩んだり、辛い思いをしたりしている人達がいる。…僕達は今こうして二人で、幸福そうにしているけれど。でもね、そういう僕達っていうのは、まるでテーブルから汚いものでも払いのけるかのように、苦しんだり辛かったりしている人達の事を除け者にして生きている。そうやって払いのける事で、自分達の幸福を維持しようとしている。でも、そういう事はいつまでも続かないんじゃないかな? ほら、あそこで子供が逆上がりをしている。あれは、どういう事だろうね? 一体? 誰かが逆上がりの方法を教えてやるべきなのか、それともあの子が一人でそれを学ぶべきなのか? 僕の親父なら『こうやるんだ。そうすればできる』『どうしてできないんだ!』って怒鳴りつけるだろう。でもね、本当にそうだろうか。あの子は今、一人で練習している。何かを得ようとしている。でも、そういう自然な成長とか、何かを求める心のあり方というのを、人はあんまり見ようとはしない。でも、僕はそういう事が大切だと思うんだよ。生きる事は条件で決まるんじゃなく、何かのハードルがあって、それを乗り越える事に意味がある。でも、僕の親父だったら、子供の僕をだっこしてハードルをまたいで、「さあ、ほら、できたぞ」って言う。でも、やっぱり人生は自分の足で歩かなきゃいけない。そうじゃないのかな」 あの人はよくそんな事を言っていました。あの人には色々な事が見えていました。他人の苦しみを自分のように感じる能力がありました。私は桐野の作品についてはよく分かりません。ただ私の心には現実の桐野の姿がはっきりと残っているだけです。大切な思い出として。彼の事に関しては、それだけです。それ以上、私に言える事はありません」


 ーーーどうも、長時間のインタビューありがとうございました。今日はここでおしまいにしたいと思います。貴重なお話、大変ありがとうございました。これで読者の方も桐野氏がどんな方なのか、その理解が深まったと思います。ありがとうございました。


 「ありがとうございました。」

僕が『小説』を書くきっかけになった、とても小さな出来事

 



 僕の実家の近くに、一軒の八百屋があった。その八百屋は『杉本青果店』というごくありきたりの名前だった。その八百屋では、おそらくは杉本夫妻であろう中年二人の男女がただ淡々と働いて、野菜を売っていた。僕は登校の際にいつも、その前を通りかかったものだ。僕が小学生の時も、中学生の時も、そして高校生の時も。僕が年を重ね、大人に近づいている間もその八百屋の夫妻はずっと、時が止まったかのようにそこで野菜を売り続けていた。二人は来る日も来る日も、そのみすぼらしい店の先で野菜を売り続けていた。野菜は大抵かごに盛られていて、そしてそれは驚くほどの安値だった。そして僕はその八百屋にはほとんど何の興味も覚えず、またその二人の色黒の、労働者の化身みたいなその夫妻に特に注目する事もなく、ただ登校路としてその前を通り続けていた。そうやって時は流れた。僕はちっちゃな小学生から高校生になり、そしてその夫妻には皺が増えた。時が僕らに与えた作用は、ただそれぐらいのものだった。

 高校生になったある日、僕はふと、その二人を見て、軽蔑に近い感情を覚えた。その理由はよく覚えていないが、ほんの気まぐれだったのだろう。僕はその二人を見て、「ああ、この人達はこうやって人生を終えていくんだな」と思った。「この人達は、この八百屋以外の、それ以外の広い世界を知らないんだ」と、僕はそう思った。僕はその頃、文学に手を出していたので、どうやらこの世界には、自分が生きている世界とは違う世界がどこかにあるんだという事を認識し始めていた。…八百屋の夫妻は、そんな僕に目もくれず、たださっさと手を動かしていた。そしてそれは彼らの中で何十年という時を紡いできた、そのような伝統的な作業なのだった。

 更に時は流れた。僕は大学生になっていた。僕は上京し、そして都内の芸術系の大学に通っていた。僕は小説を書き始めていた。それらの小説はどれも、今から振り返るとごく下らないものに見える。どれこれも通俗的だし、あまりに凡庸でつまらないものだった。しかし、僕はその頃、得意で、他人の迷惑も顧みずに、その小説を嬉々として他人に見せたりしていた。すると他人は気まずそうに、「まあ、悪くないんじゃないか」というような事を言った。…それでも、僕は気を腐らせずに、書いた。書きまくった。僕は二十歳前後で自分が小説家になれるような気がしていた。そんな風な事を、誰しもそのぐらいの年頃には考えるものだ。だが、それは決まってうまくいかない。僕はその時期を、そういう凡庸な大学生として過ごした。恋愛もし、飲み会などで騒いだりもしたが、全ては実に馬鹿馬鹿しい出来事だった。そうやって僕の若年は過ぎ去った。

 もちろん、僕は小説家になれなかった。僕は大学卒業後、普通のサラリーマンにさえなれなかった。僕は未来というものを漠然と「どうにかなるのだ」と考えていた。小説家になれる、というのもその未来の一つだ。だが現実は違った。気づけば僕は小説家になれず、新卒で就職する事もできず、ただのニートになっていた。そして僕は自堕落のままに、そのまま二年間もニートをし続けた。その間、僕はほとんど何もしていなかった。ただかろうじて少しだけ、何か書いたり読んだりはしていた。後は建設的な事は何もしていなかった。一切。

 二年が過ぎて、僕は二十四になっていた。何かを決断しなければならない年だ。親も、もう来年からは金を送らないと僕に最後通告を出していた。…僕はしぶしぶ、仕事を始めた。といってもそれは正社員ではなくアルバイトで、近所のコンビニの夜勤だった。コンビニの夜勤は楽で、しかも廃棄弁当ももらえるので割は良かった。朝勤の高校生と文学の事について話して、仲良くなったりもした。でも、事態は別に大して変わったわけではなかった。僕の小説は相変わらず、子供の書く「お話」を超えたものではなかった。

 そんなある日、僕は帰省した。お盆だったと思う。親がたまには帰ってこいとしつこく言うので、仕方なく僕は帰省する事にした。実家に帰るのは大学生以来だった。僕は自分が二十六歳にもなって、何者でもないという事に恥じ入るようになっていた。二十歳の頃には、何もかもがうまくいくと思っていた。その頃僕は、早々に小説家としてデビューするつもりでいた。しかし現実は甘くなく、僕は同級生達よりも劣るただのコンビニ夜勤者に過ぎなかった。プライドの高い僕には、その事は恥ずかしい事に思えた。だから、実家に帰るのも嫌だったのだ。そこで昔の友人達と会うのも嫌だったし、親と顔を合わせるの嫌だった。しかし僕はもう新幹線に乗ってしまったのだった。だから、その屈辱に一人で耐えるしかなかった。

 家の最寄り駅から、僕はわざと徒歩で帰る事にした。駅から実家までは歩いて三十分ほどあるが、僕はその少し遠い道のりを、わざと噛みしめるようにゆっくりと歩いた。…町の風景は、大学生の時に帰った頃とほとんど変わっていなかった。ただ一つ、二つ、畑が潰され駐車場になっていたぐらいのものだった。

 そして、その道程でふと僕は、あのすっかり忘れていた八百屋を発見したのだった。…僕はそれに、本当に何気なく気づいたのだった。『杉本青果店』。その薄汚い看板、そして店頭のざるに盛られた野菜。そして、そこで働く杉本夫妻。全ては何一つ変わっていなかった。二人はそこで相変わらず野菜を並べたり、ダンボールを畳んだりしていた。

 その二人の姿を見た時に、ふいに僕の中を電流のようなものが走った。陳腐な表現だが、それ以外に言いようがない。その時、僕はその人達がその場所を何十年間と守り抜いてきた事を知ったのだった。高校生の頃、僕は心の中でこの二人を軽蔑した。「この人達はこんな所でこんな風に人生を終えるのだろう」ーーー。だが今、現実はどうだろうか。僕には何一つ守るべきものはなく、コンビニで自堕落に働いては遊ぶだけ。だがこの二人は少なくとも、この小さな八百屋を何十年と守り通してきたのだ。絶えず働き、手を動かし、足を動かして。彼らはその時、もう既に何かを成し遂げていたのだ。未来を空想ばかりしている僕とは違って。僕は「杉本青果店」の前を、屈辱に満ちた思いを抱きながら通り過ぎた。二人は僕を見なかった。僕もまたそちらを見なかった。

 帰省を終え、元のアパートに戻ってくると僕は、これまで自分の書いた小説のデータ、そしてその原稿用紙などを全て一斉に捨て去り始めた。その決意は、新幹線でアパートに戻ってくる時に固められたものだった。僕は、アパートに帰るなり窓を開けて空気を入れ替え、そして原稿用紙や、コピー用紙に書かれた汚い乱雑な文字達を片っ端からゴミ袋に入れはじめた。それは丁度ゴミ袋二つ分くらいあった。僕はそれを縛って閉じ、そして即効でゴミ捨て場に捨てに行った。そして戻ってくると僕はパソコンの、『小説・倉庫』のフォルダを削除した。削除には一分も掛からなかった。全く、テクノロジーというのはありがたいものだった。

 そして、その時、僕は決意していた。これまで書いていた小説はどれもいい気なものであり、単に文学青年の遊戯に過ぎなかった。そして、これから書くものは、これまでとは違う、一つの確かな生の実感にしよう、と。もちろん、そんな事が実際にできるかどうかはわからなかった。それでも、もう自分で自分を変えなければならない場所まで僕が来ているのは明白だった。僕の頭の中には、あの杉本青果店の二人がちらついていた。あの二人は確かにこじんまりとしているかもしれないが、しかし、彼らは彼らの確かな生を生きている。だから僕もまた、自分の生を生きなければならない。そしてその為には僕はまず、確かな生の実感のある小説を書かなければならない。これまでのようにうわついた登場人物やプロットをひねくり回した、玄人ぶった作品など二度と書かない事だ。下手くそでもなんでもいいから、自分の腹に入っている真実だけを書く事だ。自分をごまかさない事だ。とにかく、全てはそれからだ。僕はその時、そう思った。僕はその時、そう思ったのだった。

 それから、僕はどうなったろう。あれから二年経ったが、今も大して状況は変わっていない。僕は相変わらず、フリーターのままで、今は牛丼チェーン店の夜勤をしている。僕は二十八になり、三十歳もすぐそこだ。…だが、僕の書くものにはこれまでとは違う変化が兆してきた。…だが、その変化を僕は大げさに言う事はやめよう。まだ、全ては始まったばかりなのだ。もう僕は自分をごまかしてはならない。上を見上げて、それっぽい、玄人臭い、あるいはどこかの誰かの作品と似たスタイルの、そんな作品を書く事はもう僕には許されていないのだ。まず、僕がしなくてはならない事は一人の登場人物を作る事だ。自分の生命と人生を託し、僕を引っ張って歩んでくれる、そのような主人公を作り上げる事だ。世界を自分の自意識の中に引きずり込んで歩き出す、あのラスコーリニコフのような主人公を。

 だが、僕はふいに思い出したりもする。杉本青果店のあの二人は今もあそこでああしているのだろうか、と。一人の人間、あるいは二人の人間が人生を生きるという事はどういう事だろうか。人は華やかな外面ばかり気にして、夢を見て生きている。かつては僕もそうであり、だからこそ、そうなれなかった自分に絶えざる不満を抱いてきた。だが、生きるという事はそういう事ではないーー。そういう事をあの二人は教えてくれた。しかし、彼らは何も語らなかったのだ。語らず、そこに存在し続けたからこそ、二人の存在は僕に衝撃を与えた。今の人々はあんまりにもしゃべりすぎる。僕も含めてーーー。

 さて、僕はもうここで沈黙しなくてはならない。僕は今、新人賞に出す原稿の推敲中なのだ。この作品が賞を取るかどうかは分からないが、ようやく、僕の主人公も少しずつ様になってきた。それは確かな足取りで地面を歩けるようになってきた。僕はそんな気がする。だから、あるいは今度こそーーー。
 
 いや、そんな風に考える事は僕はやめよう。今はまだ始まったばかりなのだ。そう、全ては今スタートを切った所だ。おそらく、人生とは地味で、そしてぬるぬるした泥の道を少しずつ歩いて行く事なのだ。それまでの僕はただ、自動車に乗ってさっさとゴールに行こうと焦っていただけだ。そんな風にうまくいっているように見える人間も、僕の周りにはたしかにいた。だが、僕はこれからは一歩ずつ歩いて行こう。少しずつ、少しずつ、だ。

 …そうやって、僕は本当の意味で『小説』を書くようになったのだった。そして、その結末がどうなるのか、それはまだ誰にも分かっていない。まだ、全て始まったばかりなのだ。僕は焦りを捨てて、一歩ずつ歩むようになった。空飛ぶ鷲を目指すのではなく、地を這う蛇になる事だ。草原を這う、なまめかしく美しい蛇になるのだ。そうやってほんのすこしずつ、ゴールににじり寄っていくのだ。そう、生きる事とはそういう事だ。

 そう、今もあのみすぼらしい青果店を守り続けている二人のように。

 

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